万葉人物の本

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「北風に起つ継体戦争と蘇我稲目」 
黒岩重吾 中央公論社 (2007.3.8)

●継体天皇をいったんは斥(しりぞ)け、後に近づいた策謀家

黒岩重吾
大正13年(1924)年〜平成15年(2003.3.7) 大阪生まれ。同志社大学卒業後、様々な仕事に就く傍ら文筆活動をし、『背徳のメス』で直木賞を受賞しました。晩年は古代史小説に重点をおき、昭和55年(1980)、『天の川の太陽』で吉川英治文学賞を受賞しました。「落日の王子」「聖徳太子」など数多くの古代史小説をのこしました。歴史浪漫の作風が評価され、平成4年に菊池寛賞を受賞しました。黒岩氏は古代史小説の第一人者でした。

★『北風に起つ・継体戦争と蘇我稲目』は、筆者が古代史小説を手がけてから5年目〜8年目にあたる1985年〜1988年にかけて執筆されたものです。蘇我稲目は蘇我入鹿の祖父で蘇我氏の基礎を築き、欽明朝で初の大臣となった人・・ということしか知りませんでした。本書は継体戦争があった頃の若き日の稲目が書かれています

★継体天皇(?〜531)は武烈天皇の直系が絶えた後、越前から応神天皇5世の孫として、507年・河内の「樟葉(くすは)宮」で即位した。しかし、511年・山背(やましろ)の「筒城宮」に遷都、518年・「乙訓(おとくに)宮」に遷都、526年9月・大和の磐余の「玉穂宮」に遷都と・・畿内を転々とした。大和入りして大和の王として認められるまでに、なんと20年もの歳月を要しました。
継体天皇は、@大和朝廷から武力で政権を奪い取ったとする説と、A性格が温厚で大和の氏族に迎え入れられたという説があり、本書は後者のAの方の説のストーリーになっています。


★稲目は始め、物部氏と姻戚関係を結ぶことによって継体天皇の大和入りを阻止します。しかし、築紫の磐井が巨大な権力を持ち始めてから、その勢力をくじくために稲目は物部氏・巨勢氏・葛城氏・三輪氏などをとりこんで継体天皇支持派となります。528年・継体天皇は築紫・磐井を滅ぼしました。蘇我氏は物部氏に比べると、軍事力が弱いので知謀で大臣にのし上がるしかありませんでした。大臣に近い席をめぐって大伴氏・物部氏にひとたびは花を持たせますが、後に継体の皇子の宣化天皇朝の536年、大臣となります。引き続き欽明元年(540)にも大臣の座につきます。継体天皇の皇子の欽明天皇に、稲目の2人の娘である堅塩媛(きたしひめ)・小姉君(をあねのきみ)を妃に差しだし、大王家との結びつきの強化計ります。蘇我稲目は仏教も積極的にとり入れ、知謀を駆使してホームグランドの飛鳥の地に蘇我王朝を築きました。


【継体天皇が即位した頃の百済や新羅の様子や、大和の豪族の様子や蘇我氏おかれた立場や勢力の様子がよくわかりました。最近の発掘ニュースで話題になった継体天皇についても少しわかりました】

(写真;2007.3.2朝刊・・継体陵巨大石組み発見の記事・大阪府高槻市・今城塚古墳・・真の継体陵とされている)


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