万葉人物の本

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「死者の書」・・
折口信夫・中央公論新社 
(2006.1.15)

●大津皇子と藤原郎女(中将姫)の魂の交流

折口信夫(おりくちしのぶ 1887〜1953)
・大阪木津生まれ。天王寺中学を経て、国学院大学へ進む。のち国学院大学教授・慶應義塾大学教授となる。古代研究をベースに民俗学・国学・宗教学・芸能史・・と独自の学風を築く。著書に『古代研究』『口訳万葉集』『かぶき讃』などがある。芸術院恩賜賞受賞。

本の表紙;入江泰吉「大津皇子の眠る二上山」



【二上山で眠る大津皇子は、死ぬ直前に一目見た「耳面刀自(みみものとじ)」という女性が忘れられない。そのことが大津のこの世への執着となって亡霊となって復活する・・『耳面刀自、おれには、子がない・・おれはその栄えている世の中には、跡をのこしてこなかった。子を生んでくれ・・・おれの名を語り伝へる子どもを・・。(文中抜粋)』

大津がこの世を去ること50年が経過した頃、藤原四流の中で最も美しいと評判の藤原郎女(中将姫)が
「耳面刀自(みみものとじ)」の化身として大津の霊力によって二上山の麓の當麻の地に導き出される。写経を1000巻成し遂げた姫は、家を抜け出し當麻寺にやってきた。寺は女人禁制なので僧たちに一時とがめられる。藤原南家では姫が神隠しにあったとして騒ぎになる。ほどなくして寺にいることを許された姫は大津皇子のために、五色の蓮の糸で「はたはた ゆらゆら・・」と機を織り、曼陀羅を描く。


この物語は大津皇子伝承と、中将姫(藤原郎女)伝説を組み合わせたものです。大津と中将姫の共通点は、「どちらも二上山の周辺に魂の所在がある」ことや、「どちらも薄幸の美男美女」ということである。そのどちらの魂も互いにひかれ合うのである。『死者の書』は「古代の憧憬を形にした文学の金字塔」となっている】


★當麻寺に伝わる中将姫(藤原郎女)伝説★

天平時代(8世紀)、藤原南家(なんけ)には美しい中将姫がおりました。中将姫の曾祖父は藤原不比等、祖父は藤原武智麻呂。この祖父の代から藤原家は藤原南家と呼ばれるようになりました。父は藤原豊成(とよなり)、父の弟は藤原仲麻呂。
中将姫(ちゅうじょうひめ)は、父の後妻に妬まれ命を狙われ続けますが、万民の安らぎを願い「写経」や「読経」を続けました。そして1000巻の写経を成し遂げた16才のある日、二上山に沈む夕陽に阿弥陀如来の姿を見た姫は、現世の浄土を求めて都を離れ、観音さまに手を引かれるように當麻寺を訪れます。当時の住職・實雅法印(じつがほういん)に認められ中之坊にて尼僧となり、法如(ほうにょ)という名を授かります。その後、あの日に見た阿弥陀さまのおられる極楽浄土の光景を、五色の蓮の糸によって織り表しました。これが国宝・當麻曼荼羅(たいままんだら)です。その輝きに心を救われた法如は、人々に現世浄土の教えを説き続け、29才の春、不思議にもその身のまま極楽浄土へ旅立たれたということです。

★當麻寺・・当麻町當麻★

二上山の麓にあります。高野山真言宗と浄土宗の両宗を兼ねた寺院で珍しい。聖徳太子の弟・麻呂子(まろこ)親王が河内・交野に万法蔵院(まんぽうぞういん)を建てたのが始まり。681年・天武天皇の御代に、麻呂子の孫の當麻国見(たいまのくにみ)が現在の地に移築した。ここは豪族当麻氏の氏寺でした。この寺には燈籠全体が現存する最古の燈籠があります。また弥勒仏坐像や十一面四天王立像など国宝・重文を多数有しています。


★映画化された『死者の書』★

『死者の書』は脚本・監督を手がけた川本喜八郎氏によって人形アニメーションの映画になりました。この映画は2005年、文化庁メディア芸術祭・アニメーション部門で優秀賞に輝いています。2006年2月には神田にある岩波ホールを皮切りに全国的に映画が上映されました。海外のアニメーション部門でも数々の受賞に輝きました。昨年はちょうど2月ごろ忙しくてこの映画を見ることができませんでした。また上映して欲しいな・・と思っています。

(写真;「當麻寺・曼陀羅堂」・・国宝・天平建築が伝わる本堂。當麻曼陀羅(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)があります。

絵;本堂横の四角い池にある「中将姫の銅像」/當麻曼陀羅のひとつ「勢至・せし菩薩」)



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