万葉人物の本

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裸足の皇女」1
(はだしのひめみこ)
永井路子 文藝春秋 2006.1

著者 永井路子・・大正14年(1925)、東京に生まれる。直木賞、女流文学賞、菊池寛賞を受賞。歴史に対する新鮮な解釈や確かな時代考証に定評がある。『一豊の妻』『平家物語の女性たち』『噂の皇子』『歴史をさわがせた女たち』(日本編・外国編・庶民編)『新・歴史をさわがせた女たち』など多数の著書がある。

●欽明天皇の妃は6人、子は25人


この書は飛鳥時代の欽明天皇の頃から、奈良時代の聖武天皇の頃までの人物を題材として史実をとりい入れ物語化しています。10編の短編で構成されています。

●短編「冬の夜、じいの物語」

じいは、昔、蘇我家の奴(やっこ)だった。蘇我稲目の長女が堅塩媛(きたしひめ)、その弟が馬子、馬子の下の妹が小姉君(こあねのきみ)・・この姫君たちを、じいが物語風に回想します。

欽明天皇は蘇我家の姉と妹の元へよく通われたそうです。妻訪い婚の当時、姉妹がいた場合、一方の娘の元だけに通うのは失礼なことで、もう一方の娘に恥をかかせることとされたそうです。
どちらにも通うのが礼儀だったうです。欽明天皇はどちらも気に入っていたのでしょうね。いくら礼儀とはいえ、気のない女の人の元へは行けないと思いました。

姉妹の間で共通の男の人というのは、ぎくしゃく
しなかったのかなー・・。お姉さんの方が数が多くてずるいよ〜とか!ところで、双子の姉妹の時はどこで区別するのかな〜。


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◎欽明天皇(509〜571)には、6人の妃がいました。石姫皇女(いしひめ・子は3人、ひとりは後の敏達天皇)、稚綾姫皇女(わかあやひめ・子は一人)、日影皇女(ひかげみこ・一人)、春日糠子(かすがあらこ・二人)。

そして、蘇我系の堅塩媛(きたしひめ)と小姉君(こあねのきみ)の姉妹です。
○姉の堅塩媛(きたしひめ)・・皇子6人、皇女7人がいました。合わせて13人。その中に後の用明天皇(聖徳太子の父)や推古天皇、山背皇子がいます。

○妹の小姉君(こあねのきみ)・・5人、その中には
後の崇峻天皇や、用明天皇の妃で聖徳太子の母となった穴穂部間人皇女がいます。

★蘇我稲目(大臣)の息子馬子や二人の娘によって、蘇我氏の権力は益々強大になっていきます。

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