万葉人物の本

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 2005.9

天の川の太陽 上・下中央公論社 

黒岩重吾
大正13年(1924)年〜平成15年(2003.3.7) 大阪生まれ。同志社大学卒業後、様々な仕事に就く傍ら文筆活動をし、『背徳のメス』で直木賞を受賞しました。晩年は古代史小説に重点をおき、昭和55年
『天の川の太陽』(写真)
で吉川英治文学賞を受賞しました。「落日の王子 蘇我入鹿「天風の彩王 藤原不比等 上・下」講談社「聖徳太子」文芸春秋など数多くの古代史小説をのこしました。歴史浪漫の作風が評価され、平成4年に菊池寛賞を受賞しました。黒岩氏は古代史小説の第一人者でした。


『天の川の太陽』(中央公論社)


◇この本は、672年に起きた「壬申の乱」を題材としています。乱が起きるまでの、天智天皇と弟の大海人皇子の確執も丹念に描かれています。

「・・・そして兄は、今更の如く、大海人皇子が大友天皇の行く手を阻む巨大な岩であることに愕然としたのだ。障害は早いうちに取り除いておかねばならない。・・・・」(文中より)

◇大海人皇子は謀反の念が無いことを明らかにするために、吉野の宮滝で出家しながら攻撃のチャンスをねらいます。乱が起きる前年に、天智天皇が亡くなりチャンスが訪れます。大友皇子率いる近江朝軍と大海人(おおしあま)軍との壮絶な攻防が描かれています。

32日間の攻防の様子が日付入りになっており、攻撃の場所やルートも詳しく書かれていて、臨場感があります。
(作者は中学時代・・現在は高校、奈良県宇陀地方で暮らしているのでこの辺りの地形や地理にも詳しかったようです。)

例えば

●倭(やまと)古京をの高坂王の屋形を占領したのは六月二十九日であった。
●七月八日、将軍大伴吹負(ふけい)は、当麻に向かって進撃を開始した。
●七月十二日、吹負は倭古京軍将軍として、総指揮所の軍営を香具山の中腹に置いた。

攻撃ルートの三道も丁寧に説明されています・・地元の人でないとわかりませんね。

○上つ道・・飛鳥の雷丘(いかずちのおか)から東北に伸びた山田道
○中つ道・・飛鳥寺辺りから奈良市北之庄町近辺
○下つ道・・平城京朱雀大路と重なった近鉄岡寺駅付近

大海人(おおしあま)軍の部下(一部)にこのような名前も登場します・・
まろははらがすくな

高市麻呂・鴨君蝦夷(かものきみのえみし)・坂本臣財(さかもとのおみちから)・宿那麻呂(すくなまろ)


◇◇◇黒岩さんを偲ぶ新聞記事

(平成15年 3月11日 読売新聞より)

歴史小説家の津本陽さんが、黒岩さんが亡くなった頃に、黒岩さんとの思い出を語った記事がありますので紹介します。

津本さんと黒岩さんの共通点は、歴史小説家であるということと、双方の親の里が和歌山市の海があるところで、旧幕時代は共に廻船問屋を営んでいたそうです。海運業のDNAが流れる二人は、海が好きで、一緒に海釣りを楽しんだそうです。
黒岩さんが亡くなる18年ぐらい前に和歌山築港沖に小鯛釣りに行ったとき、風雨波浪警報が出ていたにも関わらず、釣り師の反対を押し切って海に出たそうです。津本さんも結局つき合って海に出たそうです。
波しぶきがかかって、手がかじかむ寒い中、
黒岩さんは朝から夕方まで、一心不乱に海釣りを楽しんでいたそうです。
その後、何度か釣り師を伴って海釣りに一緒に行ったそうですが、「今度は二人だけで、釣りに行こうや」・・といった約束が果たせなかったのが、心残りだそうです。


◇◇黒岩さんの資料ルームが母校の奈良県・大宇陀高校の図書館にできる! (2005.9.3 毎日新聞より)

黒岩さんの母校に、資料ルームができました。夫人の協力のもと、蔵書のほかに、820冊の作品や黒岩さん関連の資料が整ったそうです。私も見学に行きたいなーーーー。有名作家が母校にいるってすてきですね。 







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