【本・BOOKな話題】・・・2005.6・7・8月
 
 
読書の感想や作家など、本の話題が中心です!
(2005.6.30〜)


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◆BOOK8・「
真田幸村 真田十勇士
 柴田錬三郎著 文春文庫 (2005.8.23)

柴田錬三郎・・大正6年(1917)に生まれる。慶応大学支那文学科卒。1978年没。ニヒルな剣士・眠り狂四郎と円月殺法で圧倒的なブームを呼び、時代小説の第一人者となった。

◇真田氏で1番有名な人・・というとやはり真田幸村が一般的です。

●義経と真田幸村の共通点がちらりと思い浮かびました・・どちらも悲劇的な最期・・これがヒーローたる由縁


@
ど派手な奇襲攻撃 
Aあとさきかえりみない・己の命もかえりみない
猪突猛進型・・情熱系・熱血漢 
B最期はハッピーエンドではなく壮絶な死


真田幸村は父親(昌幸)譲りで軍略に長けていました。大坂冬の陣で呼び出されて秀吉方につき、真田六文銭隊を率いて大活躍します。敵方の徳川家康は真田幸村の破天荒な動きをいつも恐れていたようです。幸村は大阪城で特別に「真田丸」と呼ばれる城を攻撃に備えて造りました。
兄の信之は家康方について、真田家の家督を守りましたが、幸村は負け戦(いくさ)とわかっていても秀吉方について逃げ出さず信念を貫き通します。
家督を継いだ信之はさしてヒーロー扱いされることもなく、弟の幸村ばかりが後世に名が残っていくのは、やはり最期、大坂夏の陣で命を散らしたことによるのでしょうか。どう考えても信之の方が聡明なのですが、多くの人は義経同様、ど派手な動きをして、壮絶死した方に同情してヒーローにしてしまうようです。

著書について・感想
柴田錬三郎さん独特のフィクションの世界です。史実に沿いながらも、自由自在に空想をめぐらして書かれています。
例えば、真田幸村の嫡子、大助が女忍者と幸村との間にできた子で忍者の母親から忍者の秘術の特訓を受ける話しとか、家康の子供は全て、影武者につくらせた・・など奇想天外な発想で物語が構成されています。幸村の行動計画がたびたび淀君にブレーキをかけられてしまいます。
また真田十勇士の霧隠才蔵が家康に毒を盛ったり、猿飛佐助が暗躍して幸村を支えます。息子の大助も十勇士のひとりで、大坂夏の陣で壮絶に死ぬようすの描写も迫力がありました。
史実とフィクションをバランスよく配した柴錬さんの小説はおもしろかったです。



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◆BOOK7・「
寂聴 今昔物語」
瀬戸内寂聴著・中央公論新社 (2005.8.21)

「今昔(こんじゃく)物語」と「こんにゃく物語」は違うよー

●まいたけを食べたら、まいった毛


『今昔物語』は、平安末期の1100年頃に成立しました。枕草子や源氏物語など貴族の文学の後の100年後に庶民の文学として登場しました。


特徴
@説話集・・人の口から口へと伝わったもので、作者不明
A書き出し・・どれも「今ハ昔・・」で始まる
B印度と中国と日本の説話、31巻(現存は28巻)が収められています
C漢字とカタカナの和漢混交文になっています
D「今昔・・」は芥川龍之介によってよみがえった・・小説の題材(「羅生門」「鼻」「芋粥」)
E貴族文学にはない庶民のたくましさがある
F
滑稽でユーモラスなものも多い


著書より

●「時平(ときひら)左大臣が、国経(くにつね)大納言の妻を奪う」

国経(くにつね)大納言は、妻を奪う目的で訪ねてきた時平(ときひら)左大臣を手厚く接待します。左大臣の帰りがけに、酔った勢いで、左大臣の希望通り引き出物として妻を差し出してしまいます。酔いがさめて、 国経は淋しくなり後悔します。

●「蕪(かぶら)の子」
かぶらの前を通った男が、かぶらに穴を開けて、その中に子種を入れて垣の中に放り投げて立ち去ります。垣の近くに住む娘がその蕪をおもちゃにして転がしたりして遊んでいるうちに、お腹がすいて蕪を食べてしまいます。そのうち娘は妊娠して蕪の子を生みます。何年かのち、付近を通りがかってかぶらに穴を開けた話しをしている男をつかまえた娘の母親が、家に連れてきて子供に引き合わせます。父子はうりふたつで正真正銘の親子であることが判明し、娘と男が仲良く暮らします。

●「茸(キノコ)を食べて舞う尼達」
・・まいったけ
山野に来て、きのこを食べた尼達が急に笑い出して、踊り出したというお話しです。
それ以来、このきのこは「舞たけ」と呼ばれるようになったそうです。

この他に「国王の難題を逃れた夫婦」「蛇になって男を追った女」「釈迦の妻ヤソーダラ妃」「死んだ妻とまぐわった男」「亀の恩返し」「玄奘三蔵、天竺に渡る」「安倍晴明、忠行の弟子になる」など数々の説話が紹介されています。

感想・・平安末期というと「末法思想」の影響で人々は日々、先行き不安な思いで暮らしていた時代ですが、『今昔物語』には末法思想を跳ねとばすような明るさがあります。非科学的な説話が多いですが、当時の人たちの大らかで、ユーモラスな雰囲気が伝わってきます。


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◆BOOK6・「ことば遊び」
(河出書房)(2005.8.10)

共著・
谷川俊太郎・井上ひさし・阿刀田高など


ダジャレをはじめ、ことば遊びっておもしろいですね。

@【アナグラム】・・
言葉を分解し新しく組み立てる

著書より
●蛍の光の歌詞  
♪いつしか年もすぎーの戸を→
キスの音もし いと静か(キスの音ってどんな音?)


●田中角栄(たなかかくえい)→ないかくかえた(いまの小泉さんみたいですね)

◆私の意味ピーマンオリジナル アナグラム◆

まろやあおまん→あおやまろまん

◆うどんしみてよ→天童よしみ
◆きたなかまこ→田中まきこ
◆うちいとこどうも→堂本光一
◆えろなむあみ→安室奈美恵
◆めすもむにぐーん→モーニングムスメ
◆こだまいつせ→松田聖子
◆てだけやつた→武田鉄矢
◆けらいだんまつ→松平健
◆イケベン→弁慶
◆わきあざひできた→滝沢秀明
◆ねつよし→よしつね
◆いかざまつこけ→松坂慶子
◆れもんいいんけん→建礼門院

◆○んこもみと→水戸黄門

◆ちんかぜおおおえ→大岡越前


A【楽しい回文】・・著書の阿刀田高さんが考えた回文
回文と言えば、「たけやぶやけた」「タイヤキヤイタ」などの、上から読んでも下から読んでも同じものです。楽しい回文を本の中から紹介しましょう。

○キスガスキ ○カードハドーカ ○スタミナミタス ○ナクナヨナクナ ○トリトコトリト ○ヤケザケヤ ○ナツマデマツナ ○スマイニイマス
○タウエタ ○ヨクキクヨ ○ワタシマケマシタワ ○イナカシカナイ ○タシカニカシタ ○サイパンカラカンパイサ ○イガイヤイガイ ○シタシクシタシ ○ヨキンシタテタシンキョ  ○コインナンカワカンナイコ ○イカノダンスハスンダカイ ○アニマルマニア ○カンケイナイケンカ ○クシロヨリヨロシク


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◆BOOK5・「古典がもっと好きになる」
(岩波書店)(2005.8.7)

田中貴子著・
1960年京都府生まれ。奈良女子大文学部卒業、広島大学大学院博士課程修了。現在、京都精華大学助教授。

筆者は、はじめに教科書の古典がおもしろくない理由について述べています。
それは、「古文の授業がわけのわからない文章をひたすら品詞分解し、文法を覚えさせるだけのもの・・」とあります。
筆者は大学のゼミの学生たちに、
「文法なんか知らなくても、古文が読めるようになります」と言ってるそうです。この言葉に、古典の苦手なわたしは大変勇気づけられます。

そして古文を理解するためには、
@繰り返して読む A状況について勘を働かせる B当時の文化を理解しておく・・・ことが大切と述べています。

筆者は、吉田兼好の『徒然草』(第72段・いやしげなるもの)は、清少納言の『枕草子』(いやしげなるもの・・品のない物)に、影響されていたことや、百人一首の裏話や、『堤中納言物語』の滑稽な恋愛のエピソード
(「花桜折る中将」・・男(中将)が、姫が姫を心配する祖母と入れ替わったのに気づかずにまちがえて、奥の間で寝ていた祖母を抱き上げ、馬で連れ去る話し)も盛り込まれています。

筆者は教科書に載ってる古典はつまらないけど、おもしろい古典はたくさんあるからそれに気づいて、もっと古典と親しくなろうと呼びかけています。

◆感想
勘を働かせて感覚で読むというのは古典読解には大事なことだと思います。古典に日頃、接して慣れることが大事だし、当時の人が何に心を動かされて、喜んだり、感動したり、悲しんでいたのかを知るには、数をこなして読む・当時の歴史や文化に親しむ・・・これに限ると思います。

以前読んだ紀貫之の『土佐日記』には、幼い娘を亡くして、旅の折々に娘を思い出す貫之の想いが書き連ねてありました。「平安の貴族というと、一見華やかようですがそれぞれ悲しい想いもあって暮らしてるいる人もいたのだなー・・」という感想を持ったことを思いだしました。



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◆BOOK4
杉浦日向子(ひなこ)さんを偲ぶ(2005.7.27)

江戸情緒豊かな漫画やエッセーで知られた文筆家の杉浦日向子(ひなこ)さんが、7月22日に、10年の闘病生活を経て亡くなりました。日大芸術学部デザイン学科中退後、江戸庶民の風流や吉原の「粋」を題材とした作品を次々に発表しました。江戸の研究家というより、まるで『江戸から来た人』のようだったと評する人もいます。『江戸へようこそ』『大江戸大観光』など多数のエッセーや漫画をのこしました。



また大のソバ通でもあったようです。
『もっとソバ屋で憩う』(杉浦日向子とソ連編著)・新潮文庫 という本もあります。
ソ連とは、ロシアではなく
「ソバ好き連」の略が「ソ連」なのだそうです。平成3年に杉浦さんがソバ屋でのリラクゼーションに気づいて発足した同好会でメンバーは10人ほど。全国のソバ屋を行脚し、紹介しています。東京都内のソバ屋、駅の立ち食いソバ、新潟・長野・静岡・埼玉・福井・愛知・・と遠くまで足を運んでソバをとことん楽しむ。近所の店にも出没していて驚きました。


【文中で印象にのこったことば】

「最近、ほっと安らいだのは、いつ、どこでですか。会社と家庭意外で、自分の時間を実感したのは、いつ、どこでですか。頑張らない、背伸びをしない、等身大の自分に還(かえ)れたのは、いつ、どこでですか。そんな居場所を、日常の中に持っていますか。」

杉浦さんは天国でもきっと楽しい自分の居場所を見つけられることでしょう。どうぞやすらかに・・。

(近所の方から信州のおみやげのソバと、わさびの漬け物を頂きました。わさびづけは、野沢菜プラスわさびの味で美味でした)



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◆BOOK3・「100万回のコンチクショー」・・原点は怒り、怒りを糧に走ってきた (野口健・集英社)より(2005.7.7)

●環境を考える登山家・・オンリーワンとしての存在・・最高峰の盗聴記録じゃないよー

野口健・・

1973年アメリカ生まれ。中学・高校時代と落ちこぼれて停学処分になった。この頃「植村直己」さんの『青春を山に賭けて』と出会い、16才で登山を始めた。1999年、エベレスト登頂で
七大陸最高峰最年少登頂記録を達成。七大陸達成は、「落ちこぼれ」からの脱出であったという。
人と違うことをして、自分の存在をアピールしたかったという。

【命がけのエベレスト清掃登山のきっかけ】


西洋の登山家から、ゴミを山のように残していく「日本人の登山隊のマナーは三流」と言われて、奮起したそうです。

【環境問題に首を突っ込むとバッシングされる】

利益ばかりに目がくらんで、自然を食い物にし、環境保全となると一目散に散っていく政治家・官僚。何かが起きてからでは動こうとしない政治家・・。1988年の日本隊のゴミを都庁をはじめ、全国各地で展示するようになってから、国内のアルピニストからも非難されるようになったそうです。バッシングされるたびに、逆に野口さんは燃えたそうです。
2001年、エベレスト清掃登山中に、2000年日本登山隊のゴミがたくさん見つかって
腹がたったそうです。野口さんが5000万円かけてシェルパーを雇って命がけの清掃登山をしているのを知っていて、平気で酸素ボンベやテントなど大量のゴミを投棄していくそうです。つい最近の話しで、びっくりしました。環境問題が出ていなかった1988年登山隊のゴミは許せるけど、2000年のゴミは許し難いと述べています。

2年前に野口健さんの「富士山が変われば日本が変わる」の講演会があったので、出席したことがあります。富士山麓樹海の不法投棄について訴えるなど、環境について活動を行うようになってから、バッシングの嵐になったそうです。現在は都心に住んでいますが、千葉にいた頃は飼い犬が殺される被害もあったそうです。


【富士山清掃登山と入山料の提唱】
富士山は世界の富士山、日本の誇り・・白神山地でゴミの回収も、小笠原の環境保全も提唱


2000年から富士山の清掃登山も行っています。今年(2005年)も環境保全のためのレンジャー部隊を、7月1日に結成したそうです。野口さんは富士山に登る人から1000円の入山料を徴収して、国が責任を持って管理するよう提唱しています。毎年50万人訪れて5億円集まる計算になるそうです。汚物まみれの富士山をとにかくきれいな山にしたいと述べています。

北米大陸のマッキンリーでは、入山料は200ドル、ゴミを持ち帰らないと600ドルの罰金を支払うシステムになっているそうです。ガラパゴス諸島でも、お金を徴収し、レンジャーを雇い環境保全にあてているそうです。

日本で徴収しようとすると、マスコミ・一部山岳会・地元などから以前に反発があったそうです。「国立公園から国民を遠ざける」とか「野鳥を見るのになぜ金がいるのか」・・etc。お金をだして環境を守っていくという意識が薄いそうです。ドイツには、自分で使った分の木は植える・・という考え方があります。


【野口さんの魅力・・母親がエジプト人ですが、日本人がかつて持っていた、日本人らしい気質を持った純粋でストレートな人だと思います】

野口さんは、『落ちこぼれてエベレスト』
を出版してから、ほんとに落ちこぼれた子が多い学校からの講演の依頼もあるそうです。講演中、おしゃべりして話しを聞かない中学生に、バコ〜ンとマイクで一撃したら、生徒がびっくりして会場が静かになったそうです。
有名人になると自己主張しにくくなりますが、野口さんはストレートです。今のおとなは、子どもがキレルのがこわくて注意もできないようですが、
怒るときは怒る・・このストレートさが、純粋でいいと思います。野口さんは優柔不断な学校教育や甘すぎる親の教育についてもストレートに怒りをぶちまけています。講演先の学校の教頭先生とけんかして帰ってくることもあるそうです。



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◆BOOK2・「少子化」 (2005.7.1)

先日、NHKの番組で、少子化について考える番組が2夜連続で放映されていました。番組の中でスタジオに招いた人たちに「将来、少子化が進むとあなたは得をすると思いますか、損をすると思いますか」という質問をしていました。「日本が損するのか、個人が損するのか、きちっと分けて質問して欲しい・・」という意見も出ていました。スタジオでは少子化の是非をめぐって意見がまっぷたつに分かれていました。5年前も同じような感じで番組が放映されていました。その時も意見がまっぷたつに分かれていました。

◆1989年・・1.57ショック(合計特殊出生率・ひとりの女性の一生の間に生む子どもの数が、1.57人と、大幅に落ち込んだので1.57ショックと言われています)

◆2004年・・1.289人(2004年度の合計特殊出生率 2005.6.1発表)・・これは先日発表されたばかりのデータです。過去最低の出生率で底が見えないのが現状です。

少子化になると、@若い労働人口の減少 A経済成長率の低下 B厚生年金などの負担額の増大(2025年には厚生年金だけで年収の25%に達するとされています。今、厚生年金は既に不足していて、先食い状態にあるそうです。)・・・などのマイナス面が一般的に言われています。

一方、少子化が進むと@交通渋滞・通勤ラッシュの緩和 A受験戦争の緩和 B土地利用の拡大などのメリットも出てくるとされています。

●本屋さんで、先日、少子化に賛成する本を発見しました。戦時下の「生めよ増やせよ」の時代にはあり得なかった本です。経済面で少子化はどうなのか興味があって、読んでみることにしました。

それは、「非婚のすすめ」(講談社現代新書です。(著者、森永卓郎(たくろう)・・1957年生まれ。東大経済学部卒業後、経済企画庁などを経て、金融系シンクタンク主任研究員となる。

著者は少子化のメリットとして、住宅問題の緩和・財政の好転(学校教育における負担額の激減、家庭での養育費の激減)・通勤地獄の解消・個人のレジャーの拡充・高齢者や女性の雇用拡大などを掲げています。

また、要約すると、大家族においてはフラフラして毛色の変わった人間は、大勢の中に埋もれて、目立たないけど、核家族の中では、ひとりでも素行のおかしいアウトサイダー的な人間は、目立ち過ぎてしまうと言っています。
フーテンの寅さんは、核家族主流の時代では、結婚できない・・と言っています。結婚して家族に縛られてがんじがらめの人生を送るより、自由きままで楽しい、ポシティブ・シングルライフを送ろうと述べています。経済学者ですが、愛についても熱心に述べています。一生「オンリーユー・フォーエバー」はあり得ないと。結婚しないで、誰にも迷惑をかけない自由恋愛を提唱しています。賛否の分かれる本だと思いますが、こういった考え方の男女がだんだん増えているのも現実です。



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◆BOOK1・「万葉時代のさらりーまん」(太田隆次著・悠飛社)より (2005.6.30)

著者、太田隆次(りゅうじ)・・1959年、京大法学部卒業。国際人事研究所所長

万葉の時代・・舒明天皇、627年即位〜万葉集大伴家持最後の歌、759年までの130年

●奈良の都は男の人があふれていたそうです。奈良の都は女の人の奪い合いだったのでしょうか。

当時の日本の総人口は推計・・600万人。
うち、都にいた人・・20万人。男の人が16万人で女の人が4万人だったそうです。どうしてこんなに男の人が多かったかというと、中国に習(奈良)って、官僚を都に集中させたそうです。 役人・・約1万人(五位以上の高級官僚は700ねん代のはじめ125人)。また、宮殿建築や土木作業をする男の人もいっぱいいたそうです。

●地方へ転勤になった国司・大伴家持(万葉集の編纂者)の悲哀の歌・・
男はつらいよ、転勤はつらいよ。国司を酷使しちゃいやーん!

「しなざかる 越に五年 住み住みて 立ち別れまく 惜しき宵かも」 (万葉集 4250番)

訳・・ 都から遠いこの越前の国に五年住み着いて、別れていかねばならないと思うと名残惜しくてなりません

●「十七条憲法」(604年制定)は公務員の服務心得だったそうです

十七条のうちの五番は賄賂の禁止、六番はへつらいと媚びの禁止なども盛り込まれています。八番は出勤時間について、朝早く出仕して遅く退出せよとあります。604年の頃は、時を知らせる鐘がまだなかったので日の出に家を出て、日の入りに帰るようにしたそうです。

◆647年・・当時の役人は
朝の4時に出仕して、お昼に退出したそうです。出仕時間はサマータイムなんてもんじゃなく、もっと早いですね。門の出入り口で毎回チェックされ、出勤状況が俸給にもひびいいたそうです。

●1300年前にもあった勤務評定・・「功過行能(こうかこうのう)」・・中国の能力主義をとりい入れていたそうです。

功」・・職務を達成したか 「過」・・過失はなかったか 「行く」・・行状、態度はどうだったか 「能」・・能力はどうか

この著書は、この他に現物支給(繊維製品)された俸給や、年休制度などについても詳しく書かれています。

正一位の俸給は三億円以上
とか・・びっくりの数字ですね。プロのスポーツ選手みたいですね。

生徒のMちゃんが黒板に似顔絵を描いてくれました(写真右)。10年前のろまんだそうです。10年前の・・というところがおもしろいですね。ほっぺがなるとになっています。



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