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◆京都の和菓子店・甘味処◆ (2006.9月〜)



N013.川端道喜・・代表銘菓@道喜粽(どうきちまき)/A菱葩餅(ひしはなびらもち)

●創業500年(室町時代1503年〜)・・・店に伝わる絵巻物には応仁の乱後、店の粽を奪って逃げる雑兵の姿も・・

●先祖代々の禁裏御用達の他に、350年間も「御朝物」を毎朝内裏に届けた不撓不屈(ふとうふくつ)の精神・・一般の店と一線を画す


左京区下鴨南野々手中町 2006.12.13


★川端道喜の店・・大きな交差点の角なのにうっかり見落とすほど目立たない

◎北山通りと下鴨本通りの交差点角にあります。あまり大きな店舗ではないし、ショーウインドゥも無いし、コンクリートの建物で和菓子屋の風情ではなかったので、うっかり通り過ぎてウロウロ・・。道をどんどん進んでも和菓子店が見えない。地図を見るとこの辺りなのに。自分の中では「粽・ちまき」を売ってる店だから絶対、風情のある店の構えと勝手にイメージしていたのだ。また、もと来た道に戻って探しなおし。通りの人に尋ねるとなんとあの角地の建物が・・。見落とす訳だ・・目立たない・・商売っ気の無い建物だな〜。

◎店舗の大きさ
4畳半ぐらいでしょうか。ショーケースもポツンと小さいのがあるだけ。なぜかというと・・ここの粽(ちまき)は予約制だからです。事前に予約を入れて粽(ちまき)を渡すので、店舗は大きくなくていいのです。予約無しですぐ買えるのは「おいとぽい」というかわいらしい干菓子だけです。
粽は予約制ですが、店の人によると当日でも1時間半待てば蒸し上がるとのことです。



★川端道喜の由来と歴史(写真;由来記)

川端道喜には、500年の戦火をくぐりぬけて『川端家文書(道喜文書)百余
点』の古文書が残っています。この書物は京都市の有形文化財に指定されています。写真の由来記は16代・川端道喜 伸政氏が記録したもので、先代から今日に至るまでの店の歴史が刻銘に綴られています。

◎初代の道喜
1500年代の初め、幕府認可の特権を得た商工団体「座」が存在し、その「餅座」の権利を取得したのが、渡辺進。この渡辺氏の娘婿となって家業を継いだのが、初代の道喜。道喜は国学や和歌や茶道もたしなんでいました。禁中の御用を賜って吉野葛をもちいた羊羹粽をお届けしたところ風味の良さが評判となり、「内裏ちまき」「御所ちまき」「道喜ちまき」と呼ばれ広く世間に知られるようになりました。

◎「御朝物(おちょうぶつ)」を内裏に毎朝お届けすること350年

初代から明治2年(1869)3月6日(明治天皇東行決定の前日)まで、代々の道喜は歳事・祝事御用達の品以外に、自主的に「御朝物」(餅に塩餡をまぶしたもの)を毎朝、350年間宮中に届けてきました。初代
道喜が「御朝物」を納めるようになった動機は、世は室町時代の後期で幕府も朝廷も財政が逼迫(ひっぱく)していた状況を慮ってのこととききます。350年続いた不撓不屈(ふとうふくつ)の精神に驚きます。

◎京都御所に残る道喜門

京都御所・建礼門と建礼門前より東側をのぞむ。「道喜門」が見えます。
 













●歴代道喜が出入りで使っていた「道喜門」


◎歴代道喜と歴史上の人物との関わり

信長の命により、禁裏の修造を私財で行ったり、天正12年(1584)京都奉行前田玄以より諸疫免除を受けたり、天正13年(1585)以降に豊臣秀吉から『豊臣秀吉禁制花押』や『豊臣秀吉朱印状』を授かっています。
また初代道喜と2代目道喜は親子で、天正18年(1590)11月に利休に二人だけで招かれたという。初代道喜は茶人として晩年を送っていたそうです。
3代目道喜は『後水尾天皇口宣案』を下賜されました。
4代目道喜は後水尾天皇の中宮となった家康の孫娘の東福門院和子から家宝の
『後水尾天皇御製御宸筆』や茶道具・御歌短冊・香合などを授かったという。こうして明治天皇が京都から東京に遷られるまで、皇室と長い間交誼が続いてきました。



★代表銘菓・・「道喜粽(どうきちまき)」・・500年の伝統を守ることが店の使命

粽は中国の故事に因み、厄除け・不詳を払い悪疫を除くといわれています。道喜の長い間の伝統の上に成り立ってきた名物が粽です。明治に入って現在の細型の粽のスタイルになりました。それ以前は丸形の粽でした。鞍馬山で採れた笹を一子相伝の技法で巻きます。吉野葛の持ち味が生かされた透明な「水仙粽」と、こし餡を練り込んだ「羊羹粽」の二種類があり、どちらも笹の風味が残り上品でしっとりとした味わいがあります。
一子相伝の手間ひまのかかる製法を守り続けているので、大量生産して市中に送りだすことができないので、値段も決して安価とはいえません(予約制で5本で3150円)。


「菱葩餅(ひしはなびらもち)」


宮中の正月の儀式に用いられる鏡餅のはなびらがいつの頃からか菓子化したものです。丸くのばした餅を押し鮎にみたて、甘く煮たふくさゴボウ2本と白味噌餡を二つ折りにした餅でくるみます。桜色の味噌餡がほんのり浮き出て風情があります。この菓子は茶道の初釜に用いられます。

この「菱はなびら餅」は他の和菓子店でも作られています。現在はゴボウを1本にしたものが出回っているようです。

☆★☆このほかに道喜では、裏千家の大茶会で使われる上生菓子なども手掛けており、現在も、折に触れ皇室からの注文を受けているそうです。
それにしても量産せずに伝統を守っていくというのは大変なことなのだなあ・・とひしひしと感じました。



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