◆京都の和菓子店・甘味処◆ (2006.9月〜)
N02.一文字屋和助(一和)・・あぶり餅(今宮神社)
★西暦1000年(平安時代)の創業・・最古の和菓子店・甘味処
北区紫野今宮町 2006.9.22
◆あぶり餅・・炭であぶった餅
餅米から作った餅を親指大の大きさにちぎって、きなこをまぶし、竹串にさし、備長炭であぶり、甘い白みそのタレをかけたもの
●あぶり餅の店・・全国に数店だけ
@「神明宮」(石川県金沢市野町)
金沢五社の前田家の信奉が厚かった神社です。毎年5月(春祭り)と10月(秋祭り)に境内であぶり餅が売られています。この餅は厄除け・無病息災の餅とされています。形状は京都と違い、ひし形の餅が5個串刺しになっていて、みそダレがなく、神社の厄除けの包装紙に包まれています。
A「大文字屋」(京都市右京区嵯峨釈迦堂・清涼寺境内・写真左)
あぶり餅の形状・形式は、京都・今宮神社と同じです。滋賀県で採れた最高級の餅米で作られています。この店はあぶり餅以外の甘味(あまざけ・しるこetc・・)も扱っています。
B「かざりや」(京都市北区紫野・今宮神社東門・写真真ん中)
あぶり餅のみ扱っています。修学旅行生は餅を焼かせてもらうこともできるそうです。井戸の水銀窟があります。今宮神社の二軒は、向かい合っているので、どちらに入ろうか迷ってしまいます・・。
C「一文字屋和助(一和)」(京都市北区紫野・今宮神社東門・写真右)
あぶり餅のみ扱っています。今回、この店の餅を賞味しました。
◆今宮神社
この神社は大徳寺の北に位置します。正暦5年(994))船岡山に創建された疫病鎮護の神社が起こりと伝えられ、その後、今の地に移り今宮神社となりました。祭神は、大国主命・事代主命・稲田姫命。写真右が東門・・この門の前にあぶり餅の店があります。
◆今宮神社「やすらい祭り」と、あぶり餅「一文字屋和助(一和)」との関係
この神社は、京都・三大奇祭と呼ばれる「やすらい祭り」(当サイト京都の祭り・NO3で紹介)が有名です。この祭りは御霊会(ごりょうえ)を起源としています。御霊会は貞観5年(863)、神泉苑で初めて催されました。天災や疫病で非業の死を遂げた人々の霊を慰めるための祭りで、この「やすらい祭り」も、慰霊のための祭礼でした。祭りの花傘に入ると厄除け、疫病退散するといわれています。祭りの当日は鬼が町内を練り歩きます。
あぶり餅「一文字屋和助(一和)」のパンフレット(写真右)も、店の前の「やすらい祭り」のようすがデザインされています。この店はこの祭りがきっかけで、店の起源ともなりました。
○「一文字屋和助(一和)」の起源
・・なんと、西暦1000年に創業・・初代が千年の昔、初の「やすらい祭り」にあぶり餅を奉納
平安の昔、一条院天皇(980〜1011)の頃、「コロリ」と呼ばれる疫病が流行し人々の生活を脅かしました。そこで今宮神社では正暦(しょうりゃく)5年(994)に御霊会(ごりょうえ)を行ったところ、不思議なことに疫病が鎮まりました。その後、長保(ちょうほう)2年(1000)に再び疫病がおこり、その時この社に疫神を勧請して「やすらい祭り」を行ったところ、疫病が鎮まりました。
この時(長保2年・西暦1000)、初代・一文字屋和助(店の名前になっています)が、今宮神社の近くの香隆寺(現在の上品蓮台寺・じょうほんれんだいじ・・北区紫野)で作っていた名物「おかちん」(あぶり餅の女房ことば)を今宮社の神前に供えたのが始まり。神前の餅を下げ、家にもち帰り食べると疫病にかからなかったそうです。
千利休もあぶり餅を茶菓がわりとして用い、今でも千家御用達になっているそうです。
☆店内は畳が敷かれていてゆっくりくつろげます
☆メニューが「あぶり餅」だけというのも驚きです。明治生まれの店主・血統23代目のおばあさんが、きな粉のついた餅を15本の竹串にさします。
☆店の入り口で、注文が入ってから、備長炭で餅をあぶってくれます。大変愛想のいいおばさんです
☆一子相伝の秘伝の白みその甘いタレをかけるとできあがり。
☆おいしい!・・初めて遭遇した味
見た目はあまりおいしそうに見えないのですが、餅の焦げ目やきな粉が香ばしく、中がやわらかく、白みそも上品な甘さで絶妙なハーモニーです。一人前500円です。
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