◆◆戦国武将の館U ◆織田信長◆豊臣秀吉◆石田三成 

TV視聴の記録

戦国武将の館U・目次に戻る

トップページに戻る

その時歴史は動いた 2006年1月

「家康が最も恐れた男・石田三成」

(NHK再放送 2006年1月6日) 

【石田三成(1540〜1600)は、豊臣秀吉の家臣で、1600年関ヶ原の戦いで最後まで、東軍の家康勢と戦いぬいた西軍の武将です。徳川政権になってから、石田三成を誹謗・中傷する事実無根の悪評もたったようです。
番組は石田三成が「戦下手で武功がない・刀や槍は駄目」といわれている評判をひるがえし、「最期まで家康を震撼させた武将」として三成を讃えています。】


★★石田三成の功績★★


@緻密な計算力・構想力・・三成の検地改革・・物流システムの確立

太閤検地をより正確に推し進め、全国の土地を測り直し、石高を正確に測り、不正を正した。また升の長さ・体積を統一したことによって、全国的に商品の流通が円滑になり、経済効果を高めた。また、合戦の際の食糧や武器の調達も綿密に計算して、物資を補給したという。

A
秀吉亡きあと、家康と対抗

秀吉に九州の大名になるよう勧められたが、断り政治の中心となり秀吉を支えた。慶長3年(1598)、秀吉が亡きあともその豊臣政権の維持のため尽力した。
秀吉が亡くなると、家康が突然、諸大名と縁組みを図り、権威を
増長天させて豊臣政権を脅かした。対抗手段として、「五奉行・五大老制」を敷き、10人の合議で政を取り決め、家康の精力(勢力)を封鎖した。

B関ヶ原の合戦(慶長5年・1600年)で西軍を組織・結集

1600年6月、家康が挙兵したときに、「秀頼を守る」という大義名分の「家康弾劾状」で西国の大名を結集させた。会津の上杉軍3万6千と西国9万の兵を関ヶ原の1ヶ月前に結集させることができた。最期まで関ヶ原で抗戦した。




★★石田三成滅亡まで・・西軍敗軍の将★★

@秀吉が亡くなった翌年の慶長4年(1599)、前田利家が亡くなった夜、加藤清正らにより襲撃される。

A1599年2月・・家康の命により、近江に戻り謹慎し政治の中心からはずされる。

B1599年9月・・家康、豊臣秀頼の後見役として大阪城に入る。

C1600年6月・・家康挙兵

D1600年8月1日・・三成、大阪に4万の兵を残し、丹後方面などへ兵を5つに分散させる・・
この緻密さ・構想力が仇になってしまったのか・・。

E1600年8月13日・・家康軍が4万5千兵、突然尾張(おわり)に現れる。西軍は2万兵

F1600年9月14日・・家康大垣城に着陣

味方の裏切り・・三成は「明日、早朝に関ヶ原に出陣すべし」と結集を呼びかけたが、毛利輝元はついに現れなかった。家康は、毛利に「戦闘に参加しなければ、所領は保証する」と話を事前に持ちかけた。

他の大名にも出馬を制限する。小早川などもすっかり、家康に巻き込まれてしまった。・・
現実的な利に走る大名が増えた。

G1600年9月15日・・関ヶ原合戦

西軍8.5万兵 東軍7.5万兵 8時開戦・・


石田三成隊は、果敢にも次々東軍を滅ぼしていった。ところが小西行長など味方に裏切り者が続出。あっという間に午後の1時、西軍は滅びてしまった。最後の三成隊の戦いぶりは尋常ではなかった、そして主君の三成を裏切って逃げる者はいなかったという。このことからも三成は人望が厚かったことがわかる。そしてこの時の戦いぶりで決して三成が「戦い下手」でなかったことが証明された。

H1600年9月21日・・近江古橋で捕まり、京へ護送され、10月1日、六条河原で、家康によって処刑され41才の生涯を閉じた。


★★石田三成という人★★

●不屈の精神・・戦に負けたとき、「どうして自害しなかったか」、家康軍に質問されたとき、三成は「私は再起するつもりだった」と不屈の精神を述べたという・・・「みだらに命を捨てるは恥辱にあらず」

●質素で一途な生き様・・大勢の大名が己の利に走ったが、三成は最後まで質素に暮らしていた。三成の佐和山城を落城した際、東軍の武士はその質素な暮らしぶりに驚いたそうだ

★感想・・三成は味方の度重なる裏切りに屈することなく、家康と最期まで戦った立派な武将だと思いました。「家康がもっとも恐れていた・・」というのも納得がいきました。心の中で、裏切った西軍の武将も家康も、「三成は最期まで立派だった」と感じていたと思いました。秀吉亡き後、主君不在の中で幼い秀頼を守って奮闘したと思います。
加藤清正・福島正則・毛利輝元・前田・浅野・黒田・大谷などの裏切りがなければ、西軍が勝利していたと思います。

戦国武将の館U・目次に戻る

トップページに戻る

FC2 キャッシング 無料ホームページ ブログ blog
SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO