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bQ1.2011.7  京都府宇治市宇治橋上流一帯

★宇治川をこよなく愛した万葉人

宇治川周辺には、万葉人がこよなく宇治川を愛した、山城の国(京都)を愛した歌碑が残っている。その一部をひもときます。(写真;観流橋)



万葉花(81)◆もののふの 八十氏河(やそうじがわ)の 網代木(あじろき)

          いざよふ波の 行く方しらずも   (柿本人麻呂 巻3 二六四)

(訳;この歌は、柿本人麻呂が近江国(滋賀県)より奈良へ帰る途中に、宇治川付近で作った歌で、宇治川の網代木で一時停滞しやがて行方知らずとなる波のように、滅びさった近江の都に仕えていた人々はいったいどうなったのであろうか)

【網代は秋から冬にかけて魚をとる仕掛けのことで、杭を川の中に上流に向かってV字型に打ち、杭の間に竹等で編んだ簀(す)を張り、氷魚(ひお)(鮎の稚魚)をとるもので、この網代に用いる杭を網代木という。 平成四年十月  宇治市】



所在地;橘島・・観流橋が向こうに見える












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万葉花(82)◆宇治川は 淀瀬(よどせ)無からし 網代人 舟よばふ声 をちこち聞ゆ代

(作者不詳 巻7 一一三五)

(訳;宇治川には徒歩で渡ることのできそうな淀んだ瀬がないらしい、網代人が舟を呼んでいる声があちこちに聞える。平成四年十月  宇治市)



所在地;朝霧橋東詰め、上流側


●朝霧橋より上流を望む・・
確かに宇治川には浅瀬が無く、水量も多い。万葉の人々もこの川の流れに思いを馳せたのだと思う。
















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万葉花(83)◆ちはや人 宇治川波を 清みかも旅 

行く人の 立ちがてにする
 (作者不詳 巻7 一一三九)

(訳;宇治川の川波があまりにも清らかであるからであろうか。旅人たちはここから立ち去りがたく思っている 平成四年十月  宇治市)





所在地;宇治塔川・宇治観光センター前、あじろぎの道沿い


●万葉の人々も宇治川に癒されていたことが手に取るようにわかる歌である。





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万葉花(84)◆そらみつ 倭(やまと)の国 あをによし 奈良山越えて 山代 管木(つつき)の原 ちはやぶる 宇治の渡瀧(わたりたき)つ屋の 阿後尼(あごね)の原を 千歳(ちとせ)に かくる事なく 萬歳(よろずよ) あり通(かよ)はむと 山科の 石田の杜の すめ神 幣(ぬさ)取り向けて われは越え行く 相坂山(おうさかやま)

(作者不詳 巻13 三二三六)

(訳;奈良山を越え、山城の国、宇治川の渡し場、あごねの原をいつまでも欠かさず永久に通い続けたい・・という思いを山科の石田の神社にぬさを手向けて祈り、私は逢坂の山を越えていく 平成四年十月  宇治市)














所在地;さわらびの道、源氏物語ミュージアムに近い、仏徳山(大吉山)入り口

●奈良からいつも宇治川や山城国に通いたいという、熱烈な思いが伝わってくる。







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