NO18. (2007.1.15)
★大津皇子辞世の詩(1篇)・辞世の歌(1首)
★大伯皇女(おおくのひめみこ)の弟への鎮魂歌(6首)
絵;斎宮山に鎮座する「天神社」(大伯皇女を祀る社・天照大神を祀る社)・・奈良県桜井市小夫(おうぶ)
【大伯皇女(おおくのひめみこ・661〜701)の父は天武天皇、母は大田皇女、弟は大津皇子(663〜686)。大津皇子は父・天武天皇が朱鳥元年・9月9日崩御したあと、9月24日に謀反が発覚し、10月2日に逮捕・翌日死を賜った。姉の大伯皇女は弟を偲ぶ歌を6首のこしています。万葉集の中でも大津皇子の辞世の歌を含む、姉弟の歌は悲しさが際立っています。
大伯皇女は天武2年(673)、13才で伊勢神宮の斎宮に選ばれ、伊勢に行く前の年に初瀬川の上流に位置する泊瀬斎宮(現在の天神社)に籠もり、化粧川の清冽な水で身を清めたという。伊勢神宮の初代斎宮は倭姫命ですがこれは伝説上で、実質的には大伯皇女が初代斎宮とされています】
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★★大津皇子(24才)は天武天皇が亡くなる前後に、身の危険をおかして密かに姉・大伯皇女(25才)の元を訪れています。伊勢に行くということは@謀反を企て東国で兵を募る A謀反の霊力を賜る B身の危険を感じ逃げる・・といった風に解釈されてしまうようです。大津は既に自分の命が危ないことを姉に告げたのでしょう。二度と会えないかもしれない・・・。大伯皇女が弟の身の上を心配して詠んだ歌が2首あります。
万葉花(62) ◆わが脊子を 大和へ遣(や)ると さ夜ふけて 暁(あかとき)つゆに わが立ち濡れし
(大伯皇女 巻2 一〇五)
万葉花(63) ◆二人行けど 行き過ぎがたき 秋山を いかにか君が ひとり越ゆらむ
(大伯皇女 巻2 一〇六)
(伊勢を訪ねて都へ帰る弟を見送り、明け方の露に濡れるまで立ちつくした。あなたは今険しい山をひとりで越えているのでしょうか)
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★★大津皇子が泣きながら作ったという辞世の詩と歌
辞世の詩・・「金烏(きんう) 西舎(せいしゃ)に臨み 鼓声(こせい) 短命を催(うなが)す 泉路(せんろ) 賓主なし この夕 誰が家に向かう」
(太陽は西に傾き、夕べの鐘に短い命が身にしみる、泉途を行くは一人の旅、夕暮れどこへ宿るのか)
万葉花(64) ◆百(もも)伝ふ 磐余(いわれ)の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
(大津皇子 巻3 四一六)
(磐余の池の鳴く鴨を見るのも今日が最後、自分の命は尽きてしまう)
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★★大津皇子が10月3日に亡くなった後、大伯皇女は11月16日に斎宮の任が解かれ、飛鳥の都に上ります。その時の歌には弟がこの世にいない寂しさが切々と込められています。
万葉花(65) ◆神風の 伊勢の国にも あらましを なにしか来けむ 君もあらなくに
(大伯皇女 巻2 一六三)
万葉花(66) ◆見まく欲り わがする君も あらなくに なにしか来けむ 馬疲るるに
(大伯皇女 巻2 一六四)
(伊勢に留まっていればよいものを、どうして飛鳥の都に帰ってきたのか、会いたいと思う弟はもういない)
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★★大津皇子を二上山に移し葬る時、哀しみ傷む歌
万葉花(67) ◆うつそみの 人にあるわれや 明日よりは 二上山を 弟世(いろせ)とわが見む
(大伯皇女 巻2 一六五)
万葉花(68) ◆磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が ありと言はなくに
(大伯皇女 巻2 一六六)
(現し身の私は、明日からは二上山をわが弟と見よう、馬酔木を手折って見せたいと思ってもあなたはいないのだから・・)
絵;大津皇子が眠る「夕日の二上山」(ふたがみやま・にじょうざん)・・奈良県北葛城郡
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