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NO12. (2005.12.24)

★恋の道 ★鏡女王縁りの恋神社・・談山神社「東殿」
奈良県桜井市多武峰(とうのみね)・談山神社 
      

★鏡女王(かがみのひめみこ・額田王の姉)の墓 
奈良県桜井市忍阪(おつさか) 
  

★鏡女王・熱愛の歌

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の道と◆神社(談山神社「東殿」)

談山神社の拝殿の近くに、鳥居があり、それをくぐると「恋の道」の始まりです。恋の道は「恋神社」に続いています。祭神は額田王の姉の「鏡女王(かがみのひめみこ)」とされています。恋の女神様として祀られています。

恋神社でお参りして行く人が、結構いました。鏡女王の絵馬に願い事を書くと恋が成就するそうです。絵馬のデザインがすてきです。

鏡女王は中大兄皇子の妃でしたが、その後、658年(中大兄皇子(33才)が額田王(28才)を妃に迎えた頃)、32才で中臣鎌足(45才)の妻になりました。中大兄皇子から鏡女王を譲り受けることになり、鏡女王と互いに熱愛していた鎌足は、たいそう喜んだそうです・・・・鏡女王は恋の成就の神とされる由縁がこのあたりにあるのかもしれません。

(鏡女王と鎌足との間に
藤原不比等
が授かっています。鎌足は669年、56才で亡くなりました)
















◆額田家(額田部連家・ぬかたべのむらじけ)と姉妹について

鏡女王(額田王より4才年上)・額田王姉妹の父親は鏡王(かがみのおおきみ)で、額田郷一帯(現在の大和郡山市額田部町)を支配する豪族でした。宮中の大切な儀式や神様を祀る儀式に奉仕する役目がありました。姉妹は幼少の頃から神様にお仕えできるように和歌(やまとうた)の手ほどきを受けたそうです。
額田王が天皇や国の人々に代わって歌を詠む、歌の天才といわれるのは幼少の頃からの英才教育によるのかもしれません。

額田王は、大化改新の前年の644年、14才で宮中にあがり、お仕えします。額田王は647年頃、17才で同じ年の大海人皇子と結婚し、翌年十市皇女を生みました。


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◆鏡女王忍阪(おつさか・・地名)

舒明天皇(天智天皇の父)陵のそばにあります。この陵の右手の細い脇道をさらに登って行くとちょっとした山道があり、そこに小さな円墳があります。畑の近くに「たで」が咲いていました。たでってこの時期にあるのですね。


鏡女王は、天武12年(683)、秋7月5日に亡くなった・・と記録に残っているそうです。前日の4日、天武天皇が見舞ったそうです。姉は、亡くなった年月がはっきりしていてお墓もありますが、妹の額田王は亡くなった年もお墓もわかっていません。額田は60才以上は生きていたようなので、この姉(享年57才ぐらい)の埋葬の時、ここで額田王は涙を流して弔ったのでしょうね。



















●円墳の形がきれいです。以前は、方墳で墓の周囲も荒れていたようですが、今は整備されてきれいなお墓になっています。
(写真右;お墓の辺りから、登ってきた道を写しました。この道の右手で畑仕事をしている人がいました)























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鏡女王の熱愛万葉歌 ●○●○● ●○●○●● ○●○●● ○●○●● 

万葉花(23)
◆秋山の 樹(こ)の下隠(がく)り ゆく水の われこそ益(ま)さめ 御思(みおもい)よりは (巻2 九二)

(秋の山の木々の下をひそかに水が、人目に立たずに水かさを益すように、わたくしの方こそいっそう深く、あなた様をお慕いしています。)

【当時、鏡女王は、中大兄皇子と恋愛関係にあり、中大兄皇子の「妹が家も 継ぎて見ましを 大和なる 大島の嶺に 家もあらましを」(あなたの家がもっと近かったら、たびたび訪れることができるのに)に答えた歌】


万葉花(24)◆玉櫛笥(たまくしげ) 覆ふ(おおう)を安み 明けていなば 君が名はあれど 我が名し惜しも (巻2 九三)

(お化粧箱を蓋で覆うように、二人の仲を隠すのは簡単だと言って、夜が明けきって明るくなってからお帰りになるなんて。そんなことをなさったら、私たちのことが人に知れて、あなた(鎌足)の評判が立つのはともかく、私(鏡女王)の浮名(悪い評判)の立つのが惜しいですわ。)


【鏡女王が、自分の元に通ってきた来た鎌足に贈った歌。鏡女王は夜が明けてから帰っては二人の関係がわかってしまったら困る、暗いうちに早く帰れ・・と歌っています。鎌足の妃になる前から二人は熱愛だったのですね】



万葉花(25)◆風をだに 恋ふるは羨(とも)し 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ 
(巻4 
四八九) 

(風にさえ心をひかれて、恋しがる相手がいるのは羨ましい。せめて風だけでも吹いてくれるだろうと待つ相手がいるなら、何を嘆くことがありましょう。今のわたしには、恋しい人が訪れて来ることはないのです)

【鏡女王が、鎌足亡きあと、鎌足を偲んで作った歌とされています。】



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