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NO11. (2005.12.22)

★大神(おおみわ)神社・・本殿は三輪山。大和を統一した神を祀る・酒の神を祀る 
奈良県桜井市三輪 
 


★額田王・飛鳥を離れる時の「三輪山惜別の歌」 

●三輪山にはカーナビがついてるよ・・神奈備(カンナビ・カムナビ) 


◆大神神社・・この神社の裏が三輪山


延喜式内社の中で、最も古い神社のひとつ。
三輪山そのものを御神体(ごしんたい)とするので本殿は無く、重文の檜皮葺の拝殿と3つの鳥居があるだけ。神像・矢・太刀・和鏡など社宝が多い。
大和を最初に統一した饒速日命(にぎはやのひのみこと)を祀る。
饒速日命は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の三男で、北部九州を支配した後、東遷して大和を統一、大和朝廷も深く敬った。他に大国主命(おおくにぬしのみこと)、酒の神・少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀り、酒屋の軒先に下がる杉玉は、三輪山の杉でこの神社で作られ配布されたもので、全国の醸造業者の信仰を集めている。


●大鳥居が大きく、近くで見ると柱の部分が
ものすごーく太くてびっくりしました。


●拝殿前の鳥居は木造で趣があります。七五三のお参りに訪れる人が多かったです。






















●神社のすぐそばに、三輪そうめんの店があります。入り口が神社風です。


















●あちらこちらに三輪そうめんの看板が・・「三輪山」もバックに見えます

★三輪ブランド・・・桜井市は三輪そうめんのメッカ(聖地)です




















●三輪山・・笠を伏せたような美しい山・・神奈備(かんなび・かむなび)の山

三諸の神奈備(かんなび)と呼ばれ、神の降臨する山と崇(あが)められてきました。大神神社の御神体として、近年まで禁足の地であった神の山には磐座(いわざ)があり、古代祭祀が行われた場所です。古代の人は山を別物に思っていたそうです。万葉歌人たちは三輪山を崇拝し、数多くの歌が残されています。









●○●○● 
額田王・「三輪山惜別の歌」・・天皇や人々の心を代弁する歌の天才 ●○●○● ●○●○● 

・・・住み慣れた飛鳥を離れる時の歌・・・三輪山に尽きせぬ名残・・


万葉花
(22)
 ◆味酒(うまざけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の 

山のまに い隠(かく)るまで 道のくまい積もるまで 

つばらにも 見つつ行かむ(ん)を しばしばも 見さけむ(ん)山を 

こころなく 雲の隠さふ(そう)べしや
 (巻1 十八)
 

三輪山よ。奈良の山々に隠れてしまうまで、道のたくさんの曲がり角ごとに、何度も振り返り、あなたをよくよく見ていこうと思う。その山を無情にも雲が隠してよいものであろうか)


◆三輪山を しかも隠すか 雲だにも こころあらなも 隠さふべしや (巻1 十八)

なつかしい山、けだかい山も今日が見納め。その三輪山の姿を納得の行くまで眺めていたいのに、その山をすっぽり覆って、見えなくしている雲のにくさよ。雲よ、あなたにも情けがあるなら、われわれの気持ちがわかるのなら、雲で山を隠せないはずでしょう)

◇天智称制6年(667)、飛鳥から近江大津京への遷都に際し、飛鳥の地を離れる時に、天智天皇をはじめ、それに従う大海人皇子・中臣鎌足、文武百官の気持ちを代弁して詠まれた歌とされています。

◇場所は旅の支度が整った飛鳥・岡本宮の広場。三輪山で詠んだのではなく、出発前にこれから通る三輪山を想定して(想定内の範囲・・2005年度の流行語)、詠んだ歌とされています。
(これから飛鳥の東の山を北へ、北へ、三輪山のふもとを通り、海柘榴(つば)市を通り、山辺の道を通り、奈良坂にかかり、皇太子様たちや自分たちもなんども三輪山を振り返るにちがいない・・)

◇天智称制2年(663)、「白村江(はくすきのえ)の戦い」で唐・新羅に負けた天智天皇は、九州方面に堤防(水城)を築いたり、防人を配置し、対馬・讃岐・河内に城を築き、唐・新羅に対する防衛力を増強しました。それでも、これだけでは不備と判断し、天智称制3年(654)、都を近江・大津に移す計画を建て準備を始めました(結果的に唐・新羅は攻めてきませんでしたが・・)。

天智称制6年(667)、ついに大津に移るその日がやってきました。天智天皇をはじめ、人々の心は飛鳥を名残り惜しく感じる心でいっぱいでした。また自分たちの気持ちをうまく詠んだ額田王の歌に、みな深く感動しました。


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