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NO7. (2005.12.15)

★舒明(じょめい)天皇陵 奈良県桜井市忍阪   
★舒明天皇御歌 ★大和三山の万葉花(中大兄皇子)  

◇舒明天皇(601〜641)
第34代天皇で、628年に即位しています。推古・舒明・皇極・孝徳・斉明・天智・天武・・と古代史で有名な時期の天皇です。敏達天皇の孫で、天智(中大兄皇子)・天武天皇(大海人皇子)の父にあたります。舒明2年(630)、日本で初めて遣唐使を送るという画期的な事業を行っています。
舒明13年(641)、造営中の百済の宮(奈良県北葛城郡広陵町百済)で亡くなりました。

●○●○● 舒明天皇の御製歌  ●○●○●  ●○●○●  ●○●○●  ●

万葉花L

◆大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天の香具山
  登り立ち 国見(くにみ)をすれば 
 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立つ立つ 
 海原(うなはら)は 鴎(かもめ)立つ立つ
 うまし国そ 蜻蛉島(あきずしま) 大和の国は (巻1 二)

(大和にはたくさんの山があるが、神が選んで降臨する天の香具山は最高である。山の頂上に登って国見をすれば、国には煙が立ちのぼっている。海にはかもめが舞い飛んでいる。すばらしい国だ、蜻蛉島大和の国は。)

奈良県から海は見えませんが、「海原・・」は国原と対の関係になっています。陸と海が対になっています。「立つ立つ・・」もくり返しのリズムになっています。天皇は神になって天から、全体を見下ろしているので、海も見えるのです。広大な広々とした情景が浮かびます。

この歌は難しくなく、わかりやすいので、私はこの歌が好きです。
特に「立つ立つ・・」がすてきです。

(写真;藤原宮跡付近からの香具山)



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★大和三山・・
平成17年7月に、国の指定文化財(名勝)になりました

橿原市にある大和三山は、万葉の時代から歌に詠まれてきました。どの山も美しいので人々に愛され続けています。

@香具山(152.4m)・・天から降りてきたとされる山で「天の香具山」といわれている。稜線がなだらかである。
A畝傍山(199.2m)・・最も高い山。電車から見えます。「畝傍」「畝傍御陵前」と駅名にもなっています。こんもりとした印象。
B耳成山(139.7m)・・稜線が一番きれいな山です。「耳成」という駅名にもなっています。




万葉花M
 中大兄皇子の大和三山の歌・・天智称制元年の前年に詠まれた歌

◆香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相(あい)あらそひき 神代(かみよ)より かくにあるらし 古昔(いにしえ)も 然にあれこそ うつせみも つまをあらそふらしき (巻1 一三)


(香具山は畝傍山が男らしいとひかれて、耳成山とあらそいあった。神代からこうだったらしい。神々の時代も男争いをしたのだから、人の世界でもそういうことがあっても当然である)

この歌は中大兄皇子が36才の頃、斉明7年(661)頃詠まれた歌とされています。中大兄は33才の頃、妃として額田女王を迎えています。斉明天皇率いる船団(百済応援のため)が熟田津から九州に向けて出発した1月ごろ、または四国に着いてから詠まれたとか諸説があります。いずれにせよ、この歌が詠まれた年に、母の斉明天皇は九州で亡くなってしまいます。翌年から7年間、大津に都を移すまで、中大兄は天皇代行となります。



●藤原宮跡から見える畝傍山(左) ●藤原宮跡付近からの耳成山(右)




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