トップページに戻る

万葉館の目次に戻る


NO6. (2005.12.14)

★藤原宮跡 ★藤原宮の万葉花 奈良県橿原市 木之本町 

藤原京は大和三山が見えるという、リッチ立地条件のもとに造られた

持統(じとう)天皇は、が天皇になるまで、ジーットその日が来るのを待っていた

◇藤原京
日本で初の計画都市跡。持統9年(694)から、持統・文武・元明天皇までの三代、わずか16年間と短命だった都。唐の長安を模して造られ、規模は東西5.3km、南北4.8kmに及ぶ。東は中ツ道、西は下ツ道、南は山田道に囲まれた形で都市が造られた。この時、造京のための道路整備や造宮の整地のため、
5・6世紀頃の前方後円墳がのきなみ崩されたそうです。斉明期以来の大土木工事だったと思います。

藤原京の意義
@天皇の代が変わるたびに、宮が変わるという無駄がなくなった。
A都市的な空間が初めてできた。平城京の模範となった。

藤原宮・・この地で律令国家体制が押し進められた。藤原京の中心部に、1平方kmの
藤原宮があった。

◇遷都まで・・朱鳥元年(686年)〜持統称制3年(689年)は激動の年だった

@天武天皇の崩御・・天武15年(686)・9月9日 享年56才
A大津皇子(父、天武天皇・母、天智天皇皇女)事件・・謀反の疑いで自害・・まことに気の毒な事件・・天武15年・686.10月3日・享年25才
B草壁皇子(父、天武天皇・母、持統天皇)・・朱鳥4年・689.4月、28才で病死


持統天皇は子の草壁皇子に皇位を継承をさせるつもりでしたが、突然の病死で計画が狂いました。当時、草壁皇子の子の軽皇子(かるのみこ・・後の文武天皇)はまだ7才だったので、中継ぎ的な役割として引き続き持統天皇が続投することになりました。


●○●○● 藤原宮の歌  ●○●○●  ●○●○●  ●○●○●  ●○●○●  ●○●○●  


万葉花H 藤原宮の役民の作れる歌 

◆やすみしし わが大王 高照らす 日の皇子 荒たえの 藤原がうえに 食す国を 見し給はむと 都宮は高知らさむと 神ながら 思ほすなへに天地も 寄りてあれこそ 石走り 淡海の国の 衣手の 田上山の 真木さく 檜の嬬手を もののふの 八十氏河に 玉藻なす 浮かべ流せれ 其を取ると さわぐ御民も 家忘れ 身もたなしらず 鴨じもの 水に浮きいて わが作る 日の御門に ・・  (巻1 五〇)


(建設のようすがこの歌から伺えます・・・滋賀県の田上山から水陸を活用し、筏で太いヒノキを運んだそうです。人工の運河も造られたそうです。いつになく大がかりで、最先端技術を駆使した宮殿の造営が行われました。)



万葉花I 遷都後の志貴皇子の御歌

◆釆女の袖吹きかへす明日香風京を遠みいたづらに吹く(巻1 五一)

(いつも釆女の華やかな袖を吹き返していた明日香の風も、都移りにによって、都が遠くなり、さびれてしまったので、今は何のかいもなく吹いている。)

藤原宮へ遷都した後、飛鳥の古京を思って、志貴皇子(天智天皇の皇子)が詠んだ歌です。



万葉花J
 藤原宮の御井の歌
  
◆やすみしし わご大君 高照らす 日の皇子 あらたへの 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に 在り立たし 見し給へば 大和の 青香具山は 日の経(たて)の 大御門に 青山と 繁さび立てり 畝火の この瑞山は 日の緯(よこ)の大御門に 瑞山と

 山さびいます 耳無の 青すが山は 背面(そとも)の 大御門に 宣(よろ)しなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は かげともの 大御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天のみかげ 天知るや 日のみかげの 水こそは  常にあらめ 御井の清水 (巻1 五二)


●○●○● ●○●○● ●○●○● ●○●○●● ○●○●● ○●○●● ○●○●●○


●藤原宮大極殿跡

植樹された盛り土とその前に看板があります。















大極殿や朝堂院の図が掲げられています。この北側にJR桜井線が走っています。

























遠くに見える溝は朝堂院跡。藤原宮跡は広くて建物が何もありません。平城宮跡のように朱雀門や朝堂院もないので実にシンプルです。これはこれでよき味わいがあります。この一角にグランドがあり、少年たちが野球をしていました。



















万葉花K 持統天皇の御製歌

◆春過ぎて夏来たるらし白たへの衣乾したり天の香具山(巻1 二八)

(春が過ぎて夏がやって来るらしい。青葉の中に真っ白な衣が乾かしてある。天の香具山は)

大極殿または、内裏正殿から、青葉の繁った香具山を見て詠まれたとされる。この歌は初夏のすがすがしい香りがします。遷都という大事業を成し遂げてきっとほっとされたのでしょうね。
藤原京は大和三山で囲まれています。写真左2枚は畝傍山・・宮跡から撮影。右の写真は宮跡付近から撮った香具山・・・稜線がなだらかなのが特徴。

























トップページに戻る

 

万葉館の目次に戻る

  

          

SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO