奈良県・京都の遺跡ニュースの記録・1999年〜2004年
(NO1〜NO11) 2005.8.29UP
●元々遺跡が好き・・・遺跡に接してタイムスリップ!
私が考古学に興味を持ったのは、大学1年の時からです。考古学研究会で遺跡の発掘をしたり、学生時代友達と明日香村を訪れて、周辺を散策していました。保存してある新聞記事の中から、メモ程度に簡単に綴ります。
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NO11.●2004.6.19 「キトラ古墳・明日香村・奈良」
キトラ古墳(7C末〜8C初め)の石室から、被葬者の頭部のものと見られる骨と歯が計10点と木管の金具1点が発見された。この資料から被葬者を絞り込めるそうだ。いったい誰の墓だったのか非常に興味深い。(2004.6.19)
NO10.●2004.4.29 「法華寺・奈良市」
法華寺の境内で藤原不比等(中臣鎌足の二男)の邸宅跡が見つかりました。柱穴は宮殿なみの大きさだそうです。
●2004.3.13 「飛鳥京正殿跡・明日香村・奈良」
現地説明会が行われ、1万人の古代史ファンが集まったそうです。
●2004.3.8 「飛鳥京跡・明日香村・奈良」(写真左;読売新聞)
古代の律令体制を確立した天武、持統天皇の宮殿、「飛鳥浄御原宮・あすかきよみはらのみや」(672−694)の中心施設「正殿」と見られる大型高床式建物跡が発見されました。この建物で、わが国初の法律「浄御原令」が制定されたり最古の貨幣「富本銭」の鋳造が決められたそうです。
●2004.1.26 「キトラ古墳・明日香村・奈良」(写真右)
文化庁が初めての本格的な発掘調査を始め、2年ぶりに、北壁の玄武がモニター画面に鮮明に映し出された。今後、保存処理を検討、謎とされる被葬者の全容解明に迫る。未知の壁画や副葬品の発見も期待される。
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★2003年は多忙(仕事がめちゃめちゃ忙しく)だったので、資料がありません・・この年がスッポンのようにスポーンと抜けています。
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NO9.●2002.12.16 「森カシ谷遺跡(7C後半)飛鳥の砦・高取町・奈良」(写真)
飛鳥京跡の南西3qに位置する遺跡。丘陵上に建てた物見櫓(ものみやぐら)や大型の高床式建物などの周囲に柵などを巡らせた跡が見つかった。古代最大の戦乱だった壬申の乱(672)の時期とほぼ重なることから、「飛鳥京の出入り口を監視、防御した砦(とりで)」だったようです。激動の時代の緊張状態を具体的に物語る資料として注目されています。出土した土器や不ぞろいな柱穴から、壬申の乱に備え670年前後に急ごしらえで造られたとされています。森カシ谷遺跡では森を貸したにー
NO8.●2002.6.5 「キトラ古墳(7C末〜8C初め)・明日香村・奈良」
墳丘南側で、石材や棺(ひつぎ)などを運び入れる「コロ」のレール跡が見つかった。
NO7.●2002.4.4 「飛鳥京跡苑池(7C中〜後半)遺構・明日香村・奈良」(写真右)
中国最古の医学書に基づき、高血圧や脳卒中に効く漢方薬「西州続命湯」(せいしゅうぞくみょうゆ・・ほんとに長生きしそうな名前)の処方箋を書いた木簡が出土しました。「国内最古の処方箋だそうです。
NO6.●2002.2.12 「飛鳥京跡(7C中〜後半)・明日香村・奈良」
天武天皇らが遊んだ大庭園「白錦後苑・しらにしきのみその」とされる苑地遺構で、池の北端となる護岸が見つかり、池は南北200mだったことがわかりました。
NO5.●2002.1.30 「興福寺・奈良市」天平の輝き
中金堂の土台から、奈良時代の初め(8C前半)の創建時に地鎮の儀式で埋められた、金延金(きんのべがね)などの鎮壇具約300点が出土しました。そのうち、水晶玉・こはく玉・ガラス玉・真珠玉は166点あったそうです。これらは飛鳥池工房で造られたそうです。
(読売新聞・2002年1月31日朝刊)
NO4.●2002.1.21 「キトラ古墳(7C末〜8C初め)・明日香村・奈良」
東壁下部に、「寅」と見られる獣頭人身の十二支像の一つが描かれていたことが確認されました。十二支像の図画壁画の発見は全国で初めてで、東アジアで最古級。四神・天文図・十二支像がセットとなった類例のない古墳壁画の全容が明らかになり、古代の精神世界に迫る一級の資料となるそうです。
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NO3.●2001.3.22 「キトラ古墳・明日香村・奈良」(写真;読売新聞)
約1300年前の時を越え、南側の壁から朱雀の絵が浮かび上がりました。まさに「飛び立つばかりの火の鳥・フェニックス」です。学術調査団は、石室を破壊しないよう、デジタルカメラを付けたアームを石槨(せっかく)内に慎重に入れたそうです。これで四神が全部そろったことになります(東の青龍・西の白虎・南の朱雀・北の玄武)。南側の壁は、盗掘されやすいのに、残っていたのは、遺跡というよりまさに奇跡ですね。
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NO2.●2000.1.1 「酒船石遺跡・明日香村・奈良」
この遺跡の北側から亀型石造物が発見されました。儀式に使われたようです。斉明天皇は「女帝であるこの私がいつまでも老いずに長生きすることが国の繁栄につながる。不老長寿を亀の聖水に祈りましょう」・・と唱えた・・・ 亀は千年、鶴は万年」、斉明天皇は不老長寿の神仙思想を信じていたようです。
亀の水を飲むといつまでも若々しさが保てると考えられていたようです。
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NO1.●1999.1.19 「飛鳥池遺跡・明日香村・奈良」
わが国最古の貨幣「富本銭」が出土しました。重さはわずか4mg。富本銭は日本の「お金社会」の基礎となりました。これまで最古の貨幣は、和同開珎(和銅元年・708に鋳造されたお金)とされていましたが、教科書を書き換える発見となりました。富本銭はこの飛鳥池で生産されていました。和同開珎(わどうかいちん)は富本銭の快進(かいしん・かいちん)撃におどろいたそうです。
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