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◆抹茶のある風景


北野天満宮・天神さん

★長五郎餅・・創業400数十年 



京都市上京区馬喰町   2012.9



■菅原道真公の遺徳を偲ぶ天神の市












●ユニークなネーミングの「学問のするめ」がひときわ目立っています 

●桜門  ●手水舎のそばにある、日月光が刻まれた大灯籠
















10月1日からはじまる例祭「ずいき祭」の鉾も展示されています・・三光門わきの梅鉾(うめぼこ)















●楼門わきの松鉾(まつぼこ)















●導山(みちびきやま)・・巡行を先導し、氏子地域を清め渡御の無事を導く。天狗の装束が印象的。















長五郎餅












長五郎餅の由来・・太閤秀吉が気に入り命名

北野名物・長五郎餅は遠く天正年間にさかのぼります。この頃、北野天満宮が鎮座する一帯はこく生い茂った森林に囲まれ、小川のせせらぎに銀玉の転がるごとく滝が流れ落ち、秋には紅葉が美しい洛中きっての景勝地として、多くの参詣客で賑わっていました。

かの地において河内屋長五郎という者が、よしず張りに床机を並べて参詣客をもてなしながら、永年の研鑽により茶菓を完成させました。当時は菓子といってもまだ味も見た目も素朴なものが主流であり、長五郎が編み出した餡ををくるんだ羽二重餅は、その上品な味わいと洗練された意匠で評判を呼び、後世の餡入り餅の祖ともなりました。

さて天正15年(1587)10月1日、太閤秀吉が公家や諸侯を集め、北野に於いて豪華な神前大献茶会を催されました。その折茶菓としてこの餅が用いられ、秀吉公は殊のほか典雅な風味を賞されて、主の名により「長五郎餅」との命名を賜ったのです。

その後は明治維新に至るまで皇室の御用達となり、各宮家、とりわけ小松宮家や山階宮家からご愛顧を賜りました。維新の際は諸国大名の多くが京都詰めとなって、各藩こぞって長五郎餅をお買い上げくださり、名声が全国津々浦々に伝わったということです。以来現在に至るまで、400余年の伝統を継承しています。













●ふんわりやわらかい長五郎餅・・とても美味でした


































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