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◆抹茶のある風景


清水寺2.・・忠僕茶屋・・創業150年 京都市東山区清水1  2012.9

●茶屋から見える三重塔  ●茶屋に近い十三重塔















●延命阪















●サルスベリが美しい放生池。十三重塔も見えます。





















◆忠僕茶屋の名の由来

幕末、この茶屋の初代店主が、清水寺の住職・月照上人に忠実に仕えたことから「忠僕茶屋」と命名された。

幕末の頃、清水寺に月照上人という住職が居られました。月照上人は勤皇の志のある僧で、大槻重助(後の初代店主)は上人に仕えていました。安政5年(1858)の安政の大獄の際、捕らわれそうになった月照上人は薩摩の西郷隆盛氏、有村俊斎氏、大槻重助そして福岡からの平野國臣氏と共に薩摩に落ち延びました。しかし島津斉彬も亡くなり、情勢が変わった薩摩では月照上人を受け入れてはくれませんでした。同年11月16日夜半、月照上人と西郷隆盛は薩摩の錦江湾(竜ヶ水沖)に入水しました。すぐに野國臣らの救助により、西郷隆盛は一命を取り留めましたが、月照上人は亡くなりました。

大槻重助は月照上人の遺体を鹿児島に葬った後、京都へ帰る途中、幕府に捕らえられ、六角牢へ入れられました。牢には半年いましたが、無事無罪放免となりました。慶応3年(1867)、王政復古となり、西郷隆盛が上京し、清水寺で茶屋を営む大槻重助と再会しました。大槻重助は月照上人に忠実に尽くしたということで、有村俊斎(後の海江田信義
)や西郷隆盛の弟である西郷従道の二人から、「忠僕茶屋」と名付けてもらった。

●三重塔と氷の旗    

●京都府100年(昭和45・1970年)を記念して、府内の各老舗(様々な分野の)に京都府の知事(蜷川虎三)から表彰状が贈られました。












●すだれのある涼やかな店  


































●菓子は浪川菓舗の銘菓「きよみづ」・・皮も、小豆のあんも香ばしくおいしい。

浪川菓舗はバス停「清水道」の並び。(東山区東大路松原上る辰巳町113)
  













●眼下に錦雲渓が広がる。清水の舞台から見える渓谷も錦雲渓。






















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