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◆抹茶のある風景

大徳寺・瑞峯院1.

京都市北区紫野大徳寺町81   2011.9
 

瑞峯院は、室町時代の九州豊前豊後の領主でキリシタン大名として有名な大友宗麟(1530〜1587)の菩提寺です。瑞峯院の寺号は、大友宗麟が22才で得度したときの「瑞峯院殿瑞峯宗麟居士」の法名に由来します。


元亀2年(1571)、宗麟(41才)は北九州を制覇しますが、天正6年(1578)、48才の時、耳川の戦いで島津氏に大敗する。この年にキリスト教に入信。天正10年(1582)頃から津久見に隠棲する。

そして4年後の天正14年(1586・・宗麟56才)の4月、大坂城の秀吉の元に宗麟自ら、島津氏討伐の救援を求めた。秀吉は宗麟を大変気に入り、黄金の茶室で秀吉自ら茶をもてなす。さらに天守閣や寝室、衣装部屋へ案内したという。

翌年の1587年、秀吉は九州へ島津氏討伐の大軍を派遣し、島津氏を制圧する。宗麟は豊後を安堵されたが、その年宗麟は57才で死没してしまう。領地は秀吉に没収され、宗麟の死と共に大友氏は滅亡する。



表門(重文)・創建当時(室町時代)のもの  ●手入れされた松  ●重文の唐門(室町時代)












●玄関 
●方丈(重文・室町時代)・・
天文4年(1535)に創建されました。方丈は創建当時のものです。唐門、表門と共に室町時代の禅宗方丈建築の遺構をとどめ、建築史上、貴重な存在となっている
。後奈良天皇筆の額が掲げられています。












●独座庭(方丈南庭)・・・波のうねりを現した「枯山水の庭

寺号、瑞峯をテーマにした「蓬莱山式庭園」です。中国の禅僧百丈禅師が、独坐大雄峰と呼唱された禅語から銘じられ、独座庭といいます。この枯山水は蓬莱山の山岳から半島になり、大海に絶え間なく荒波に打ち寄せもまれながらも雄々と独座している、大自然の活動を現している。
















方丈東側から西を望む












方丈西側から東を望む












●写真;右・・石橋と飛び石の露地・・方丈南庭の区切り部分












●方丈南庭と地続きの茶庭・・茶室「餘慶庵」(じょけいあん)に続く露地

茶室「餘慶庵」(非公開)






















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