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◆抹茶のある風景

竹の寺・地蔵院1.・・
 京都市西京区山田北の町23   2011.8

室町幕府管領・細川頼之(よりゆき)菩提寺


衣笠山地蔵院はといい、臨済禅宗の寺で、夢窓国師を開山として伝教大師の作といわれる延命安産の地蔵菩薩を本尊とする。場所は鈴虫寺・苔寺に近い。今から700余年前、歌人衣笠内大臣藤原家良公が山荘を営まれた場所である。

■一休禅師との関わり・・幼少期6年間を過ごす

後小松天皇皇子・一休禅師は応永元年(1394)この近くの民家でお生まれになり、幼少期の6年間をこの寺で修行された。6才になって安国寺で本格的に修行された。禅師は京都・堺で民衆の教化につとめ、大徳寺にも住まわれた。晩年は京田辺市の妙勝寺を復興して文明13年(1481)、88才で示寂された。



●総門


























●竹の寺といわれるように、境内には竹が生い茂る












●本堂・・本尊の地蔵と、宗鏡禅師(第2世)・夢窓国師(第1世)・細川頼之公の木像を祀る












細川頼之公との関わり

細川頼之公は室町時代初期(足利義満時代)の足利幕府管領で、政治の暇に宗鏡(そうきょう)禅師(第2世)に参禅し、貞治6年(1367)、この地に地蔵院を建立。北朝系の三帝(崇光・後光厳・後円融)の御願寺に準じ隆盛を極めた。寺域十七万平方メートル、末寺が26ヶ所、諸国に54ヶ所の領地を持つに至った。しかし、応仁の乱で灰燼と化してしまった。皇室の深恩や細川家の援助により復興し現在に至る。

細川頼之公の墓・・細川石が用いられた墓

細川頼之公は、南北朝の和合に尽力された。明徳3年(1392)、64才で亡くなられた。

細川頼之公は、細川勝元・細川藤孝・細川忠興・細川護煕氏の祖先にあたり、その流れは現代も脈々と続いている。細川家では歴史資料や美術品の至宝を数多く有し、今秋(2011.10月8日〜11月23日)、京都国立博物館で「細川家の至宝」展が開催される。













●庫裏・方丈まで、美しい苔の道が続く












●方丈












●呼び鈴の呼び鐘

●香取線香を置いた火鉢












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