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◆抹茶のある風景

千本えんま堂・・・大念佛狂言


京都市上京区廬山寺閻魔前町   2006.5

 この寺は千本通りに面していて、本尊に閻魔(えんま)法皇を祀っているので「千本えんま堂」と呼ばれている。平安時代の歌人・小野篁(おののたかむら・802〜852)がこの地に閻魔法王の姿を刻み安置して開基になったと伝えられている。小野篁(おののたかむら)は、昼間は朝廷の歌人として仕え、夜は閻魔庁(えんまちょう)に仕えていたという伝説があります。夜、東山区・六波羅の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)の井戸から冥土の閻魔大王のもとへ行き死者の裁判に立ち会い、朝になると嵯峨釈迦堂に現れたとか・・。
その後、この寺は1017年比叡山の定覚上人が引接寺(いんじょうじ)として開山しました。この寺の正式名称は、引接寺(いんじょうじ)といいます。

●えんま堂(本堂)

本尊に閻魔法王(1488年、定勢作)を祀っています。入り口の尼さんの看板は、この寺に紫式部の供養塔があることによります。

●冥府へ届く鐘

かつて蓮台野に葬送する際に撞(つ)かれた鐘は、迎え鐘・送り鐘としてお盆の行事に欠かせなく、お盆の頃も賑わいを見せるそうです。



●えんま堂の狂言は、三大大念佛狂言として有名です。京都市の無形民俗文化財に指定されています。清涼寺や壬生寺の壬生狂言がパントマイムの無言劇なのに対し、えんま堂の狂言は有言劇なのでわかりやすい。喜劇なのでおもしろく笑える。狂言保存会の人も舞台挨拶で、「おもしろい時は大声で笑っていいです」とのことで、気楽に楽しめました。

●舞台横の不賢象桜

後小松天皇もこの桜を愛でていたという。足利義満もこのえんま堂の桜と狂言を愛で、「桜のさかりに狂言を行うべし」として毎年、五十石の扶持米(ふちまい)を授けたという。

●観客・・始まるまる頃には、観客が押し寄せ、後方では立ち見となりました。
















●演目

日によって演目が異なります。この日の昼間の演目は、(1)閻魔庁(えんまちょう) (2)伯母ヶ酒(おばがさけ) (3)二人大名 (4)悪太郎 (5)にせ地蔵 (6)いろは (7)紅葉狩り でした。ひとつの演目の持ち時間は15分・20分・30分と異なります。夜は7時から行われます。
鉦(かね)・太鼓・横笛の演奏で行われます。「タン(鉦)・デンデン(太鼓)」のくり返しのリズムが素朴です。演奏は舞台の後方と、舞台向かって右側で行われます(写真;左)


★1.閻魔庁(えんまちょう)・・無言劇

鬼(棒を持っている)が冥土に現れ、死者の存命中の記録の巻物を無理矢理、奪ってしまいます。鬼は、閻魔大王(赤・白の衣装を着ていすにすわっている)に仕える帳付に、巻物をわたします。帳付が閻魔大王に巻物を差し出します(写真;右)・・・・

















・・・・・閻魔大王は巻物を読んでびっくり。死者から巻き上げた巻物には鬼の悪行の数々が記されていました。鬼は帳付にこらしめられ、閻魔様の前で白状し観念します。
















★2.伯母ヶ酒(おばがさけ)・・有言劇

酒好きの五平衛は、酒屋を営む伯母を何度も訪ねますが、何度訪ねてもいろいろ理由をつけては、一度も酒を出したことがありません。それを根に持った五平衛は、鬼になって伯母を驚かし酒を飲もうとします・・・・

















・・・五平衛は鬼に化けて、「やいやい、ババア甥の五兵衛になぜ良い嫁をもらってやらぬ、やいやいババア五兵衛になぜ酒を飲ませぬ」と悪態をつきます。驚いて腰を抜かす伯母を尻目に「決してこちらを見るではないぞ」と言いながら、目当ての酒をぐびぐびあびます(写真;左)・・しかし飲み過ぎて五平衛は酔って寝てしまいます・・おそるおそる鬼の様子を見た伯母は鬼だと思っていたら、なんと甥の五平衛ではありませんか。伯母は怒ってほうきで五平衛をこらしめます。五平衛はあわてて逃げだします。有言劇はとてもわかりやすく、楽しいです。
















●抹茶の接待

抹茶席は畳に毛氈(もうせん)がひかれ、五月人形や菖蒲の飾り、大念佛狂言の絵を貼った屏風が飾られていました。地元の子どもたちが描いた絵がとても生き生きしています。















えんま堂・大念佛狂言のチラシ。

お抹茶と柏餅がおいしかったです。













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