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滝口寺・・★平重盛ゆかり

★滝口入道と横笛悲恋の旧蹟  

京都市右京区嵯峨亀山町10−4  
2012.8

祇王寺に隣接しています。滝口寺は往生院三宝寺といわれています。応仁の乱や数々の戦乱で、浄土宗の寺として三宝寺と祇王寺だけ残りました。明治維新で廃寺となり、祇王寺と共に再建されました。「平家物語」の滝口入道と横笛の悲恋にまつわる寺から、滝口入道の名をとり、滝口寺と命名されました。

滝口入道は平重盛の侍で、斎藤滝口時頼といいました。滝口時頼は、平清盛の西八条殿の花見の宴に於いて、建礼門院つきの女官・横笛の舞に心をひかれ、恋文を送るようになりました。それを知った滝口の父は「お前は名門の出にして、将来は平家一門に入る身の上でありながら、なぜあんな横笛ごときを思いそめるのか」と厳しく叱った。滝口は主君・平重盛の信頼に背いて恋に迷う己を自責し、「これこそ仏道に入らしめる尊い手引きである」として嵯峨の往生院(滝口寺)で出家してしまう。

滝口の出家を知った横笛は、滝口を捜してやっとの思いで、往生院(滝口寺)にたどりつく。滝口は襖のすき間から疲れ果てたようすの横笛を見る。ところが滝口は心を鬼にして、同宿の僧を通じて「ここにはそのような僧はいません。お間違えではないでしょうか。」と横笛に伝える。失意の横笛は、指を切って血で石に歌を書き残し、泣く泣く帰って行きました。

●横笛歌石   「山深み 思い入りぬる 柴の戸の まことの道に 我れを導け」












●本堂・・滝口入道と横笛の木像が安置されています












●横笛に居場所を悟られた滝口は、高野山に移った。それを知り、横笛は法華寺で尼となった。それを聞いた滝口は横笛に歌を送りました。

「そるまでは 恨みしかとも 梓弓 まことの道に 入るぞ嬉しき」 


横笛の返歌「そるとても 何か恨みむ 梓弓 引きとどむべき 心ならねば」

●横笛はまもなく法華寺で亡くなりました。滝口はその死を知り、ますます仏道修行に励み、高野の聖といわれる高僧となったと伝わります。













●滝口入道と平家一門の供養塔  ●小松堂・・平重盛(小松内大臣)を祀る
















●匂当内侍供養塔  ●新田(源)義貞公首塚・・・鎌倉〜南北朝の武将
















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