◆◆平安ゾーンU ◆平安時代の史跡・人々(藤原道長、源義経、後白河法皇etc)

平安ゾーンU・目次に戻る

トップページに戻る

平安宮一本御書所跡

(へいあんきゅう いっぽんごしょどころあと)


後白河上皇が幽閉された内裏
  2012.5

京都市上京区下立売智恵光院西入る



場所は上京歴史探訪館の向かいで、山中油店の前にあります。史跡は2005年12月8日に建立式が行われました。

この史跡は全京都建設協同組合の創立50周年記念事業の一環として、歴史都市・京都の遺跡を後世に伝える目的で建てられました。同組合では、「京都の数多くの遺跡は発掘調査され、それが完了すると埋め戻され、市民の記憶からは忘れ去られてしまうことに憂いを感じ、貴重な遺跡を石碑として残していこう」ということで、この活動が始まったそうです。その第一号石碑がここの史跡です。石碑の文字は 山中油店の山中恵美子さんによるものです。水車の風情もすてきです。




【平安時代、この付近は天皇の住まいである内裏(だいり)の東側に当たり、一本御書所(いっぽんごしょどころ)がありました。一本御書所は、平安時代中期の天暦2年(948)頃から『貞信公記(ていしんこうき)』などの文献に現れ、世間に流布した書物を各一本(一部)ずつ書き写して保管した役所です『日本紀略』康保元年(964)十月十三日条には、一本御書で清書した二百二十二巻を大蔵省の野御倉(ののおくら)に遷納(せんのう)したことが記されています。また平安後期には、鳥羽天皇や崇徳天皇が度々ここに行幸されたという。】



★平治の乱における後白河上皇(鳥羽天皇第4皇子 1127〜1192)との関わり

平治元年(1159)12月9日の夜、源信頼と結託した源義朝は軍勢五百余をもって後白河上皇の院御所・三條東殿を襲撃、上皇をここから連れさってこの内裏・一本御書所に幽閉した。かくして平治の乱が勃発した。

この時、後白河上皇と父母(鳥羽天皇・侍賢門院璋子)を同じくする1歳年上の姉・上西門院統子(むねこ・第二皇女 1126〜1189)も、同内裏に幽閉された。後白河上皇の嫡男・二条天皇もここに監禁された。

源義朝軍優勢に思われたクーデターだが、乱が勃発した8日後の12月17日、平清盛が熊野詣でから京に帰還すると、風向きが一変する。源義朝軍に不満を持つ勢力が、後白河・清盛派に寝返った。後白河派に寝返った二条天皇の参議・藤原惟方は12月25日深夜、後白河上皇の元を訪れ、二条天皇内裏脱出計画を告げる。後白河上皇は計画を告げられると、深夜のうちにすぐさま、仁和寺に脱出。続いて二条天皇も26日未明、藤原惟方ら側近に付き添われ女装で六波羅の清盛邸に脱出する(六波羅行幸)。清盛邸に公卿、摂関家の藤忠通・基実親子が次々に参集した。その後、洛中で合戦が行われ、清盛の本拠地・六波羅を目指した源義朝軍は六条河原で敗退、逃走する。


平安ゾーンU・目次に戻る

トップページに戻る

FC2 キャッシング 無料ホームページ ブログ blog
SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO