◆◆平安ゾーンU ◆平安時代の史跡・人々(藤原道長、源義経、後白河法皇etc)

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摂関家正邸・東三条殿・・藤原家ゆかり

★保元の乱・勃発の地 
 

京都市中京区
御池通り、西洞院(にしのとういん)通り〜釜坐通り  

2012.5



この場所は、白河上皇・鳥羽上皇・後白河法皇の院の御所があった「三條東殿」(烏丸御池近く)より、西350m位に位置する。院の御所と名称が似ているが、摂関家は「東三条殿」である。

初代、摂政を行ったのは藤原北家・藤原冬嗣の2男の藤原良房(804〜872)で、この地に邸宅を構える。以来、摂関家の邸宅は、350年の歴史を持つ。基経・忠平の所有となり、陽成上皇や宇多上皇の後院の機能も持ち合わせた。その後も東三条殿は代々藤原家ゆかりの人々に受け継がれてきた。

保元の乱(1156)から10年後の1166年、高倉天皇の御所となっていた当地は、火災で消滅し終焉を迎える。


●保元の乱・勃発の地

久安6年(1150)、藤原忠実は、嫡男である関白忠通が居住していた東三条殿を没収し、次男の頼長に与えていた。頼長(崇徳上皇方)の宇治滞在中である、保元元年(1156)7月8日、後白河法皇軍が、東三条殿を占拠。3日後の7月11日、後白河法皇・藤原忠通や後白河派の文官・武官が居座ったことにより、保元の乱が勃発した。

















●摂関家・東三条殿跡の南に位置する、高松神明神社・・後白河法皇・平清盛勢が、保元の乱に際し、決起した場所














 

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