◆◆平安ゾーンU ◆平安時代の史跡・人々(藤原道長、源義経、後白河法皇etc)
三條東殿(ひがしどの)遺址(院の御所跡)
★白河法皇、鳥羽上皇、後白河法皇ゆかり
★平治の乱・勃発地
京都市中京区烏丸通姉小路下る場之町586の2・新風館
2012.5
■現在の三條烏丸交差点の東北に位置する方40丈(約120メートル)の地は、古の三條東殿の遺址にあたっている。
11世紀の初め、ここには伊豫守藤原済家の邸宅があり、それは子孫の宮内卿藤原家通に傳えられた。崇徳天皇の天治2年(1125)、白河法皇はこの地を得られ、ここに見事な殿舎を造営し、院の御所とされた。法皇の崩後 鳥羽上皇は、三條東殿をやはり院の御所とされ、后の待賢門院と共に住まれ、それは長承元年(1132)7月の焼亡時まで続いた。その後この地は皇子、後白河法皇の院の御所となった。
平治元年(1159)12月9日の夜、源義朝は軍勢五百余をもって三條東殿を襲撃、法皇をここから連れさって幽閉し、かくして平治の乱が勃発した。その時、武士と火焔にせめたてられた多数の官女が三條東殿の井戸に入って非業の死をとげたという。
このように三條東殿址は、院政時代における政治的文化的中心地のひとつであり、その点で永く記念されるべき遺跡である。(昭和41年2月 古代学協会)
●場所は、烏丸通りと姉小路通りが交差する複合商業施設「新風館」の一角にある。ここは、烏丸御池交差点の近くで、院の御所となってから、887年経た今日でも、政治・文化の中心地になっている。
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