◆◆平安ゾーンU ◆平安時代の史跡・人々(藤原道長、源義経、後白河法皇etc)

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若一(にゃくいち)神社・・平清盛・祇王ゆかり 

京都市
下京区七条御所ノ内本町98  2012.1

【清盛略年表】

1118年・・誕生
1156年・・保元の乱で後白河法皇方につく
1159年・・平治の乱で源義朝を討ち、勝利する
1167年・・太政大臣となる。
1168年・・出家。厳島神社社殿を造営
1172年・・娘の徳子を高倉天皇に入内させる
1179年・・治承3年の政変で後白河法皇を幽閉させる
1180〜・・源平合戦開始
1181年・・平盛国邸で死去

1185年・・壇ノ浦の合戦で平氏滅亡



場所は西大路通り八条の交差点に位置する。車の往来の激しい交差点に幟旗が目立つ森がある。ここが若一神社である。若一神社は光仁天皇の御代・772年に建てられた。唐より来た威光上人が紀州熊野に詣で、悩み苦しむ人々のために熊野の御分霊の若一王子の御神体を背負い、当地の古堂に安置したのが始まり。

平清盛が東山・六波羅に在住の頃、風光明媚なこの地に別邸「西八条殿」を造営し、若一神社はその鎮守社とされた。
































●開運・出世の神社 ●平清盛、太政大臣の像

1166年8月、清盛が熊野詣に際し、「異変で土中に隠れた若一王子の御神体を世に出し奉斎せよ」というお告げがあった。熊野詣から帰り、邸内を探したところ東方築山より光り放つ場所があり、御神体が現れた。清盛は御神体を祀る社を造り、開運出世を祈ったところ、翌年の1167年太政大臣となった。出世の願いが叶ったことで、若一王子は開運・出世の神とされた。太政大臣になったのは清盛が白河法皇の落胤とされたからという説もある。

















●手水舎・・神供水(じんぐすい)に使われる  ●若一王子を祀る社殿












平清盛が使っていたとされる、清盛ゆかりの御神水
















●平家物語史跡「祇王歌碑」

「萌えいずるも 枯るるも 同じ野辺の草 何れか秋に あはではつべき」

















●楠(くすのき)社・・平清盛お手植えの木
















●紅葉の寿命社・・・良縁・子孫繁栄・延命長寿












●弁財天社・・芸能・音楽・福運

●池









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