◆◆平安ゾーンU ◆平安時代の史跡・人々(藤原道長、源義経、後白河法皇etc)

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有智子(うちこ)内親王の墓

嵯峨天皇・第八皇女

わずか4才で
初代賀茂斎院・初代葵祭斎王  

右京区嵯峨小倉山緋明神町  2011.5、 2011.11


■2つの斎王制度・・伊勢神宮の斎宮と賀茂神社の斎院

竹林で有名な嵯峨野の地に有智子内親王の墓があります。有智子内親王(807〜847)は、第52代嵯峨天皇の第八皇女で、弘仁元年(810)、わずか4才にして上賀茂神社・下鴨神社に奉仕する初代斎院となりました。葵祭りの初代斎王も務めました。幼少より豊かな才能に恵まれ、17歳の時、当代一の女流漢詩人としてもその名を馳せました。

●嵯峨野竹林     ●葵祭り














●嵯峨天皇皇女・有智子内内親王墓
















●内親王墓の隣に、元禄時代の俳人・向井去来ゆかりの「落柿舎」があります
















●内親王墓の斜め向かいに「小倉餡発祥の地」があります。

小豆と砂糖を煮詰めて餡にした、小倉あんは、平安時代・嵯峨天皇在位の820年ごろ作られました。小倉の里に、亀の甲せんべいを作っている和三郎という人がいて、809年に空海が中国から持ち帰った小豆の種子を栽培し、それに御所から下賜された砂糖を加え、煮詰めて餡を作り、毎年御所に献上しました。当時、餡の菓子はきわめて高価でめずらしいものでした。和三郎は、京都を中心に小豆の栽培を広く行いました。小倉あんは江戸時代には茶道の菓子や、ハレの日のお祝いとして用いられ、その後広く一般に広まりました。

















●伊勢神宮・斎王が乗る御所車(唐庇車・・からひさしぐるま)・・「嵯峨トロッコ駅」にて
















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