◆◆平安ゾーンU ◆平安時代の史跡・人々(藤原道長、源義経、後白河法皇etc)

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権現寺・・★安寿と厨子王 ★源為義ゆかり 

京都市下京区朱雀裏畑町  2010.2


浄土宗の寺で本尊に阿弥陀如来を祀る。もともとは歓喜寺と称し、度々の戦乱をくぐり抜け権現堂だけ残った。七本松通と交差する七条通りの商店街を少し下った所に位置する。大通りが近いのに、寺は静寂さを保っている。

■『山椒太夫』安寿と厨子王ゆかりの寺

中世の説話をもとに、森鴎外は大正4年(1915・・53才)、中央公論に『山椒太夫』を発表。鴎外は島根の生まれ、東京の大学を卒業後ドイツに留学し京都との接点は無いが、京都を舞台とした小説『高瀬舟』や『山椒太夫』を発表。

【平安末期、陸奥(青森)国の判官正氏は困窮した農民を救おうとしたが、朝廷に抗ったとして筑紫国に左遷される。妻・玉木は安寿姫と厨子王丸を連れて、夫のいる筑紫へ向かう。越後の国で人に騙され、親子は離ればなれになってしまう。安寿と厨子王は丹後(京都)国の荘園領主・山椒太夫の元へ連れ去られ過酷な労働を強いられる。姉の安寿は、弟を逃がした罪で拷問を受ける。厨子王は丹後国分寺を経て、この権現寺に逃げ込む。追っ手が厨子王丸が潜むつづらを槍で突いたが、姉から貰った守り本尊が刀からの難を逃してくれた】

★この寺には刀傷のついた10pほどの身代わり地蔵や、皮のつづらの一部や、「津子王丸」の額もあり、実話としての信憑性が高い。






























■「六條判官 源為義公塚」・・義経の祖父

平安末期の清和源氏の棟梁・六條判官源為義を供養する。保元の乱で落命した為義の最期の場所は、北区の船岡山など諸説があるが「保元物語」によると、七条朱雀とあるこの辺りとされている。

為義は、保元の乱(1156年)において崇徳上皇方についたが、後白河上皇・平清盛勢に敗れる。敵方についた長男の義朝によって斬首される。義朝は戦功を理由に肉親の助命を嘆願するが聞き入れられず、自ら親を斬首。戦国の世の無情・無慈悲に人々は嘆き悲しみ、塚を建て守ってきたのだと思う。














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