◆◆平安ゾーンU ◆平安時代の史跡・人々(藤原道長、源義経、後白河法皇etc)

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下御霊神社 2010.1

崇道天皇
(早良親王)・伊予親王ゆかり


京都市中京区寺町通丸太町下る下御霊前町 

奈良時代末期から平安時代にかけて政争の犠牲となった早良天皇や藤原広嗣を含む7柱(しん)と、吉備真備の計8柱(しん)を祀る。怨霊を鎮めるため、承和6年(839)に創建される。京都御所の産土社として尊崇される。当初、上京区の上御霊神社の南に位置していたことから下御霊神社と呼ばれるようになった。

■早良親王(750?〜785)

桓武天皇の時代、桓武天皇の弟である早良親王(崇道天皇)は、当時、平城京から長岡京への遷都を任されていた桓武天皇の側近・藤原種継の暗殺事件に関与したとして、処罰された。淡路島へ配流の身となり、配流の途中絶食し、難波の国にて憤死した。早良親王は、桓武天皇と対立し長岡京遷都に反対していた東大寺を含む南都寺院とつながりがあったとされている。

■伊予親王の変・・伊予親王(783〜807)と母・藤原吉子(?〜807)


桓武天皇の第三皇子とされる伊予親王は、大同2年(807)、母である藤原吉子藤原南家の娘)と共に、藤原北家・藤原宗成の讒言・陰謀の罠にかかり、謀反の疑いをかけられ大和国の川原寺に幽閉され毒をあおり親子で自害した。後に無罪がわかり819年、祟りを恐れた朝廷により、伊予親王は復位している。復位しても伊予親王親子の無念さははかりしれないものがある。下御霊神社は、この親子の霊を鎮めるために創建された。

●京洛八社めぐりのひとつ ●神門は御所・旧建礼門院の移築とされている ●本殿















●舞殿(ぶでん)・・氏子の画家により描かれた、干支の虎が掲げられている















●下御霊天満宮と牛・・讒言の犠牲となった菅原道真を祀る ●大国主を祀る大国主社















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