◆◆平安ゾーンU ◆平安時代の史跡・人々(藤原道長、源義経、後白河法皇etc)

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■和泉式部の墓所・・誠心院(せいしんいん) 

京都市中京区新京極六角通り下る  2010.1


誠心院は、平安期、誓願寺の塔頭だったが、鎌倉時代より真言宗泉涌寺派の寺となった。新京極の賑やかな場所に位置する。初代住職は平安中期の歌人、和泉式部。35才の頃、一条天皇の中宮・彰子の女房として出仕した。

和泉式部の名は、父の官職が式部、夫の任官先が和泉であったことによる。式部の生年は978年頃といわれている。和泉式部は恋多き歌人として有名である。夫・橘道貞の心変わりに悩み、貴船神社に詣でたという。一人娘の小式部内侍をもうける。まだ橘道貞の妻だった頃、冷泉天皇の第三皇子・為尊親王と恋に陥るが、身分の差で破談。式部は親から縁切りされる。為尊親王は亡くなる。その翌年、為尊親王の同母弟から求愛される。妃にはなれなかったが、敦道親王との間に永覚をもうけるが早世。40才を過ぎた頃、藤原道長の家司・丹後守の藤原保昌と再婚・・と起伏のある人生を送る。














●再婚して7年目(和泉式部47才)、穏やかに暮らしていた頃の1025年、初めの夫との間にもうけた娘・小式部内侍を失う。小式部内侍は幼い子供を遺して亡くなった。式部は悲しみのあまり、誓願寺の本堂に籠もり、本尊の教えにすがる。その思いを詠んだ歌は百人一首に収められている。

★「とどめおきて 誰をあはれと思ふらん 子はまさるらん 子はまさりけり」

(子供たちと私を遺して、あの子は今誰のことをしみじみと思い出しているのだろう。きっと子供を思う気持ちがまさっているだろう)


●式部の墓・宝篋印塔(鎌倉時代)・・波瀾万丈の生涯を閉じ、安らかに眠る

「あらざらむ  この世のほかの  思ひ出に  今ひとたびの  逢ふこともがな 」

(私はまもなく死ぬが、あの世への思い出にもう一度あなたにお会いしたいものだ)














●式部千願観音 ●本堂
















●江戸時代に制作された寺の縁起絵巻が、平成19年よりパネル展示されている(和泉式部来迎図・式部の墓)












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