◆◆新撰組の部屋 史跡をたどる
★高瀬川、土佐藩邸・彦根藩邸跡
★角倉了以顕彰碑
京都市中京区木屋町一帯 2009.8
●彦根藩邸跡(木屋町三条下る・高瀬川山崎橋)
井伊家が代々当主となる。1860年3月3日、江戸城桜田門外で井伊直弼が暗殺されて以降、彦根藩は勤王派に転じた。
●この藩邸の石碑の横で、山崎町会の地蔵盆が行われていました。子どもたちの楽しそうな賑やかな声が印象的。地蔵盆は夏の風物詩です。
●土佐藩邸跡・・旧立誠小の近く
●旧立誠小前の角倉了以翁顕彰碑
この顕彰碑は、角倉了以翁(1554〜1614)が高瀬川の開削工事を行って、375年目にあたる1985年に設置された。
角倉了以が経済活動や土木事業に本格的に関わるのは1600年、関ヶ原の合戦以降である。弟が父親の跡を受け継ぎ医師をしていて、豊臣秀次の担当医だったため、秀吉存命中、または死後の豊臣政権の息がかかっていた時期は目立った土木工事は出来なかったと思う。江戸幕府になってから家康の知行を得るようになり、活発に活動できる環境が整った。
角倉了以は私財の何百億円(現在では)という金額を投じ、1606年大堰川などの開削を行った。高瀬川は1610年から1611年に渡り行われた。
●高瀬川のせせらぎが涼しさを呼ぶ
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