◆◆新撰組の部屋 史跡をたどる
★「坂本龍馬・お龍(りょう)結婚式場」跡
出合ってわずか3ヶ月のスピード結婚
京都市東山区五軒町 2010.2
2009年9月6日、京都龍馬会により、「坂本龍馬 お龍結婚式場」跡の碑が建てられた。場所は白川の近くの東山ユースホステル前。近くに粟田神社がある。地下鉄・東山駅に近い。碑の近くには二人の写真パネルが貼られている。
龍馬(30才)とおりょう(楢崎龍・24才)は元治元年(1864)5月、おりょうの父(楢崎将作)が京都で勤王家の医者をしていたのが縁で出合う。同年翌月の6月5日、池田屋騒動が勃発。二人は知り合ったものの、身を隠しながらだったので相手の所在がつかめなかったり、会うのも命がけといった状態だった。しかしそんなさなか、二人はこの場所で同年8月1日夕刻、内祝言を行う。この東山ユースホステルは元、青蓮院塔頭の金蔵寺の敷地であった。当時、住職を務めていた智息院和尚が媒酌人となり内祝言を行った。出合って3ヶ月・・二人にとって人生の「ハレ」の日になった。
その後、慶応2年(1866)1月寺田屋事件勃発。入浴中のおりょうが裸で飛び出し龍馬に知らせる。傷を負った龍馬は同年3月〜6月まで薩摩の温泉へ治癒を兼ねておりょうと旅に出る。この3ヶ月が追っ手から逃れて生涯一番ゆっくりできた時期であると思う。日本初の新婚旅行と言われているが、祝言から数年経過している。そして龍馬は慶応3年11月15日、河原町通りの近江屋で暗殺される。おりょうと出合ってまだ3年であった。
おりょうは30才で旧知の商人と再婚し横須賀で暮らす。34才で男児をもうけるが、17才で死別。1906年、享年65才で波瀾万丈の生涯を閉じる。
●2012.10
碑は新築の賃貸マンションの脇に立つ
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