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◆◆戦国武将の館T. ◆武田氏◆真田氏


高松神明(たかまつしんめい)神社

★真田幸村ゆかり 
 


京都市
中京区姉小路通釜座東入る  2011.12



■高松殿址(平安中期)・・後白河天皇・平清盛・源義朝ゆかり

高松殿は、醍醐天皇の皇子、西宮左大臣と呼ばれた源高明(914〜982)の邸宅で「拾芥抄」に「姉小路北西洞院東高明親王家」記されている。
源高明の娘、明子は、当所に住して高松殿と称され、後に藤原道長の室となった。その後、三条天皇の皇子・小一条院の御所ともなったが、1021年と1120年に焼亡した。

■高松内裏址(平安末期)・・保元の乱、参集場所

院政期の久安2年(1146)には、鳥羽上皇の命により新造された。久寿2年(1155)には、後白河天皇が当所で即位し、保元2年(1175)まで内裏となり、高松内裏とも称された。

保元の乱(1156)の際には、崇徳上皇方の白河北殿に対して、後白河天皇の本拠地となり、源義朝や平清盛らの軍勢がここに参集して、白河の地へ攻め込んだ。

その後、平治の乱(1159)に御所は焼失するが、邸内に祀られていた鎮守社高松明神は、今も高松神明神社として残る。











































■神明地蔵尊・・真田幸村、念持仏の地蔵

神社の境内にお地蔵さんが祀られている珍しい神社。1600年、関ヶ原の戦いで西軍が敗れて、真田幸村は和歌山の九度山・善名称院に蟄居を命ぜられた。幸村は日々、毘沙門天とこの地蔵を拝んでいた。

地蔵は、高松神明神社が真言宗の社僧に管理されていた寛政6年(1794)、九度山の善名称院の真田庵より拝領された。やさしい顔立ちの半伽座像の念持仏は、幸村の知恵の地蔵尊として信仰されています。正面の台座をさすり、子どもの頭をなでると知恵が授かるという。














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