◆◆平安ゾーンT ◆平安時代の史跡・祭り・人々(桓武天皇、菅原道真、安倍晴明etc)

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菅原道真・・八瀬(やせ)天満宮社  左京区八瀬秋元町  

2011.8

大原方面、京都バス「ふるさと」下車徒歩1分の場所にある神社。祭神・菅原道真公(845〜903)を祀る。

道真が亡くなった後、師である比叡山法性坊門の尊意(866〜940)の建立により建立された。社殿の背面扉の内側には、道真の本地仏(仏としての姿)である十一面観音絵像が祀られている。この天満宮は以前「矢背天神宮」とも呼ばれていた。

道真が若いとき、自己研鑽のため、師の尊意がいる比叡山に向かう途中、この地で休息をとったとされる道真腰掛石がある。本殿や摂社九社の他に、建武3年、後醍醐天皇が足利尊氏を避けて比叡山に登る折に、村人が護衛をしたときの碑・「御所谷」がある。

【摂社の秋元神社と、赦免地(しゃめんち)踊りと、秋元町の地名】


江戸中期の宝永4年(1707)、比叡山と八瀬村との間に結界(境界)争いが勃発。3年後の1710年、老中・秋元但馬守喬知の裁量により、村人の利権が保証され、年貢も赦免(免除)されたことから、感謝の意を込めて、赦免地(しゃめんち)踊りが摂社・秋元神社に奉納されたという。

赦免地(しゃめんち)踊りは、切り子型灯籠をかぶった、美しい衣装をまとった女装の童子(少年)が、太鼓に合わせて優美な舞いをする。中世の風流踊りや、念仏踊りの流れをくむ伝統的な踊り。毎年10月の第2日曜日、境内の秋元神社で奉納される。

また秋元但馬守の名は、300年経た今でも、この地の地名として残っている。


●辺りの里の風景














●皇后陛下御歌

「大君の 御幸(みゆき)祝ふと 八瀬童子 踊りくれたり 月若き夜に」


平成16年8月21日、京都行幸にあたり、京都御所の前庭で、八瀬の人々により「赦免地踊り」が披露されました。天皇皇后両陛下は、その優美な童子の踊りに感動され、踊りの後、三日月を八瀬の人々と一緒に仰ぎ見たときの喜びを歌にされたものです。平成17年8月、八瀬童子会の人々によって建立されました。












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