◆◆江戸時代 ゆかりの地

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★寛永寺・上野大仏・・堀直寄、寄進

東軍、西軍の兵士を敵味方無く供養

東京都台東区上野公園  
2011.10

寛永年(1631)、越後の村上城主・堀直寄(なおより)が旧自宅のこの高台の大仏山に、大仏殿と土で作った大仏を寄進されました。戦乱で犠牲となった敵味方の兵士の供養を目的としました。大仏は30年後、1660年、青銅の大仏に造りかえられました。大正12年(1923)9月1日に起きた関東大震災で大仏が倒壊し、大仏様のご尊顔のみが保存されています。

直寄ははじめ豊臣秀吉に仕えていたので恩義を感じる時代もありましたが、刻々と変化する時局の中で、堀一族の合議で徳川家康方につきました。寛永6年(1629)、この上野の直寄の屋敷に、徳川秀忠・家光親子が訪問したという。この辺りには藤堂高虎の屋敷もあったことから、堀直寄が幕臣の一人であったことがうかがえる。
















大仏山の彼岸花が斜面一面に咲いています。












破損する前の大仏の写真が掲げられています。合格祈願に訪れる人もいます。















●仏塔・・大仏再建を願う上野観光連盟が仏塔(パゴダ)建設を発案しました。この趣旨に賛同した大成建設KKが寄進し、昭和42年(1967)に竣工しました。本尊に薬師瑠璃光如来、脇侍に日光月光菩薩を安置する。

●雪割草・・大仏をはじめに造った
越後の堀直寄に因み、新潟の雪割草が境内に植えられています

★上野に大仏さんが建立されたらすてきだな・・と思いました

















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