◆◆江戸時代 ゆかりの地

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★舞鶴城公園 山梨県甲府市丸の内   2010.8

舞鶴城・・山梨県指定史跡・甲府城跡

天正10年(1582)武田氏滅亡後、織田信長の領国となり、本能寺で信長が去った後、家康の支配下におかれ、秀吉を統一してから、甥の羽柴秀勝、腹心の加藤光泰によって築城がすすめられ、浅野長政・幸長によって完成された。

しかし慶長5年(1600)関ヶ原の戦い後、再び徳川の城となり幕末まで存続した。江戸時代初期は徳川の直系が城主となっていたが、宝永元年の城主・徳川綱豊が第5代将軍綱吉の養子となり江戸城西の丸に移ると、柳沢吉保が代わって城主となり20年間勤めた。城の整備が進み、城下町も大きくはってんしたのもこの時期である。吉保が大和郡山に転封後は、幕府の直轄地になり、享保の大火により本丸御殿や銅門が焼失し次第に城は衰退していった。

20ヘクタールの広大な城は明治10年前後、廃城となり取り壊された。内城全体が、勧業試験場となり、翌年鍛冶曲輪が葡萄酒醸造所となり、城の機能を失っていった。山梨県庁や中央線敷設により、城域が狭くなり、現在では内城部分が城跡として残っている。内城だけといっても舞鶴城公園は、6.2ヘクタールの広さで結構広い。舞鶴城の公園整備は1990年から始められ、足かけ20年の歳月が流れ、かなりきれいに整備されている。今でも工事が一部で行われている。城郭や門、櫓が新しくなり完成に近く、観光客や地元の人々の憩いの場となっている。

●鍛冶曲輪門(かじくるわもん)
















●坂下門跡  ●中の門跡












●本丸櫓跡・・明治初年まであった

●暗渠(あんきょ)・・雨水など盛土や石垣内部のたまった水を排水する施設













●本丸・・芝生が美しい












●天守台・・城のシンボルの天守閣が建てられた












●天守台からの眺めも良い












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