◆◆江戸時代 ゆかりの地

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★徳川慶喜の墓・・谷中墓地 台東区谷中7 2010.8


徳川慶喜(1837〜1913)は、水戸藩主徳川斉昭の第七子で、はじめは一橋徳川家を継いで、後見職として将軍家茂を補佐しました。慶応2年(1866)、第15代将軍職を継ぎましたが、翌年の慶応3年(1867)大政をを奉還し、慶応4年(1868)正月に鳥羽伏見の戦いを起こして敗れ、江戸城を明け渡しました。復活することはなく、慶喜は江戸幕府のみならず、武家政権最後の征夷大将軍となりました。



谷中墓地は、JR日暮里駅から徒歩5分に位置します。徳川慶喜の墓は、徳川代々の寺である寛永寺に葬られず、谷中墓地にあります。墓所は寛永寺の墓地に近く、日暮里の駅から遠い位置にあります。













●葵の御紋の鉄柵の中にあります。慶喜公の顕彰碑があります。















●顕彰碑の背後の向かって左側が慶喜公の墓(左写真)、右側が美賀子夫人の墓(右写真)











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