◆◆江戸時代 ゆかりの地

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★上徳寺・・阿茶局(家康側室)ゆかり 

京都市下京区富小路通五条下る本塩竈(しおがま)町
 
2010.7

浄土宗の寺。慶長8年(1603)に徳川家康によって、上徳院殿(阿茶局)が開基となり、伝誉蘇生上人を開山に招じて建立した寺。阿茶局の墓所がある。

【阿茶局(1555〜1637)の功績】

家康側室。武田の家臣、飯田直政の娘、甲府に生まれる。美貌と才智に長ける。家康の正室築山殿は家康の信頼を損ねたことで、1579年浜松で殺害されている。次の正室となった旭姫は豊臣秀吉の妹で、政略結婚で名ばかりの正室である。この旭姫は1590年に亡くなっている。

家康には数々の側室がいたが、阿茶局は家康との間に子こそもうけなかったものの(流産する)、事実上の正室と言えるほど、家康から絶大な信頼を得ていた。家康は阿茶局を合戦場に同行させている。

★慶長5年(1600)9月15日・関ヶ原の戦いでは、小早川秀秋の調略の使者となりその使命を果たした。

★徳川秀忠(家康3男)、松平忠吉(家康4男)の養育を任される。


★慶長19年(1614)11月・大坂冬の陣では、相手との和議交渉を行う。阿茶局は、合戦の大事な局面で重要な役割を果たした。阿茶局が徳川家にもたらした功績は非常に大きい。阿茶局の軍略に赴く行動から(武田の武将の血が流れているせいか)武士の志・意気込みのようなものが伝わってくる。

★1616年、家康は亡くなるが、家康の遺命で阿茶局は剃髪せず、徳川のために尽力する。

★元和6年(1620)5月・徳川和子(秀忠の娘、後の東福門院)が後水尾天皇のもとへ入内する折(東海道を上り、二条城に入る)生母として守り役を果たした。その功により後水尾天皇より従一位を賜った。

★寛永9年(1632)1月・秀忠没後、出家して雲光院となる。1637年、82才で没する。東京江東区美好「雲光院」に葬られる。
















●本堂・・宝暦3年(1753)建立の永観堂・祖師堂を移築したもの。阿弥陀如来像を祀る。

●高さ2mあまりの世継ぎ地蔵菩薩を祀る「地蔵堂」。明治4年(1871)に再建された。お参りすると良い世継ぎが授かるとされている。
















●身代わり地蔵や、延命地蔵など様々な地蔵尊を祀る















●延命長寿のザクロ・・小さな実をつけている















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