◆◆江戸時代 ゆかりの地

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★宇治代官所跡・・上林家(宇治茶師)ゆかり 

京都府宇治市宇治妙楽160
 
2010.5

宇治橋通り商店街・京都銀行宇治支店前に、2009年に宇治市教育委員会と宇治ライオンズクラブが建てた石碑があります。

上林家は、徳川家康が本能寺の変(1582)で堺から三河に逃げ帰る際、宇治茶師、上林久重の長男・上林久茂(ひさもち)らが近江信楽まで先導した功績により代官に取り立てられと伝えられている。また久重の4男・竹庵が関ヶ原の合戦で伏見で戦死。その軍功により上林家は益々徳川家より厚く俸禄を賜る。こうして上林一族の代官支配は、江戸時代の初め頃から寛保3年(1743)までの百数十年7代にわたって宇治の代官として君臨した。

 その後、寛政12年から天保14年(1843)の43年間、上林六郎久忠が代官に就任しそのあと上林久建、久賢が代官職を勤めた。以後宇治郷を支配する代官は京都代官小堀氏、信楽代官多羅尾氏の兼務で引き継がれ、明治維新におよんだ。
 
代官所のあった宇治妙楽160番地は明治5年8月には宇治町役場となり、また明治6年(1873)2月に開校した菟道小学校の門は、代官所の門が使用された。その後、この役場は、明治26年(1893)3月に宇治市役所となり、宇治市制が発足した記念すべき場所で、昭和38年(1963)に現在の宇治市役所(宇治琵琶33番地)に移転するまで続いた。













(写真;JR宇治駅前の茶壺のポスト、
観光案内所の幟旗・・イメージ)












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