◆◆江戸時代 ゆかりの地

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★瑞光院 ★浅野稲荷  赤穂浪士ゆかり 

京都市山科区安朱堂ノ後町
 
2010.2

最近のニュースより

【大石内蔵助の長男・主税(ちから)は15才で吉良邸に討ち入りした。その主税の手紙が奈良県高取町の民家に遺されていたことが、2010年1月30日にわかった。討ち入りのやく3ヶ月半前の1701年9月初めごろ、母りくの叔母にあたる高取藩筆頭家老・中谷清石(なかねやせいえもん)の妻・香(こう)に宛てたもので、『父と同道し遠方に参ります』と討ち入りの決意をほのめかした内容とされている。】


■瑞光院

山科毘沙門堂参道に位置する。慶長18年(1613)臨済宗・大徳寺の琢甫和尚によって、播州・浅野長政の京都別邸跡地の、上京区瑞光院前町(堀川通り)に建てられた。この寺の2世住職が、播州(赤穂)城主・浅野内匠頭の妻(瑞泉院)の伯父にあたったことから、赤穂浪士との関わりが深くなる。

元禄14年(1701)、浅野内匠頭が江戸城松の廊下で刃傷事件を起こし切腹となった。大石内蔵助は主君の遺髪をこの寺に埋め供養をした。1702年12月14日討ち入りを果たし、後に自刃した大石内蔵助ら赤穂義士46名の遺髪が納められている。
















昭和37年(1963)、堀川の拡張工事に伴い現在地に移った。












■浅野稲荷・・寺の敷地に浅野家の稲荷大明神を祀る。
















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