◆◆江戸時代 ゆかりの地

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★二条城 2005.8  京都市中京区

二条城は、初代徳川家康が慶長8年(1603)、京都御所の守護と将軍上洛の時の宿泊所として現在の二の丸御殿の部分を造営しました。3代将軍家光により、伏見城の遺構を移すなどして、内濠や石垣、本丸が寛永3年(1626)に完成した。

豊臣秀吉時代の遺構と、家康時代の建築と、家光時代の絵画・彫刻などが総合され、絢爛豪華な桃山時代の集大成とも言える建築となっています。
1867年、15代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものになり、のち明治17年(1884)離宮となり、昭和14年(1939年)京都市に下賜され現在に至っています。

番所・・二条在番と呼ばれる江戸から派遣された大番組の武士によって、城が警備されていた。裃姿の上役と番士の人形が中にあります。陽射しが強くガラス戸にあたり、うまく撮影できませんでした。


(重要文化財)・・この櫓の風情がいかにも城らしい。 















外堀は1周すると2kmぐらいだそうです

●東大手門(重要文化財)・・東京にある皇居の大手門とそっくりでびっくりしました。関東も関西も同じ様式の門というのは感動します

●米倉(写真右)・・かつての米の貯蔵庫でした。
















●鐘楼・・有事の際、この鐘を鳴らして異変を知らせたそうです。雨ざらしなので屋根があった方がいいなと思いました

●唐門・・二の丸御殿の正門になっています。秀吉時代の伏見城の遺構で唐破風造りの豪華な彫刻が特徴


二の丸御殿(国宝)

桃山時代武家風書院造りの代表的なもので、御車寄せにつ続いて、大名の控室の「遠侍(とおさむらい)」・大名が老中職と挨拶を交した「式台(しきだい)」・、慶応3年(1867)に、15代将軍慶喜が大政奉還を発表し、徳川幕府が幕をおろした「大広間」があります。そのほかに「蘇鉄の間」・「黒書院」・将軍の居間と寝室の「白書院」などがあります。部屋数は33、畳は800畳余り敷かれています。

ぐるっとひとまわりすると広すぎて、結構疲れます。外は36度の猛暑でしたが、城の中は涼しかったです。夏に涼しいクーラーのいらない省エネ設計でした。

各部屋の装飾は豪華な桃山様式・・・
各部屋の襖絵は狩野派の手によるもので、部屋の目的に応じて描かれています。また欄間の彫刻、飾金具、長押(なげし)に打たれた花熨斗形(はなのしがた)の釘隠しなどは、金飾あざやかに豪華を極めています。

















二の丸庭園(特別名勝)

二の丸庭園は、小堀遠州の造った池泉回遊式の庭です。池の中に蓬莱島、その左右に鶴亀の島が配置されています。大広間から眺められるようになっています。外はカンカン照りだったのでゆっくり鑑賞できないのが残念でした。


















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