◆◆徳川家(江戸時代) ゆかりの地

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★京都所司代跡・・二条城北側に近接 

京都市上京区猪熊通丸太町下る西側・旧待賢(たいけん)小学校
 


2009.5


●京都所司代は、1568年織田信長が足利義昭を擁して上洛を遂行したときに、室町幕府の形を取り込み治安維持のために設置される。1594年には、所司代として石田三成・増田長盛も名を連ねる。1600年〜16001年には奥平信昌が務めた。

後に江戸幕府の治安・行政機関となる。関ヶ原で勝利した徳川家康の政治の始動期の慶長6年(1601)年に設置された。初代は板倉勝重。3万石以上の譜代大名から任命され、役料1万石と同心100人と与力(30〜50騎)が与えられる。幕末の動乱期、京都の治安が乱れ、所司代だけでは取り締まりが困難となり、この上に京都守護職が設置された。

丸太町通りに面し、東側は堀川通りに近い交通の要所。
















●旧待賢(たいけん)小学校の一角には幼稚園があります。

●校舎前の猪熊通りは二条城に通じています。


●京都所司代屋敷は広大で、近接地が二条城でした。所司代から最も近いのが竹屋町通りの北大手門です。













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