◆◆江戸時代 ゆかりの地

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春日局 早乙女貢 講談社 2006.12

著者;大正15年(1926)、満州(ハルビン)に生まれる。本名は鐘ヶ江秀吉。戦国から幕末維新までの小説が中心。昭和43年(1968)・『僑人の檻』で直木賞受賞。曾祖父は会津藩士、その影響で維新史も手がける。平成元年(1989)・『会津士魂』(全13巻)で吉川英治文学賞受賞。『新会津士魂』の続刊も刊行している。

●春日局(1579〜1643)・・信長の最期・豊臣の終焉・徳川の動乱期を生きぬいた大奥の女帝・・この異常なたくましさは山崎合戦で父を処刑された積年の思いから

男性作家が書く『春日局』というのは一体どのようなものなのか、「大奥のこまごましたことを書き記している」のか、それとも「ダイナミックな歴史小説」なのか・・それは後者の方でした。書物の前半は斎藤福の父が合戦で敗れ、捕まり処刑されて、斎藤一家が逃げて蔭を潜ましてひっそり暮らすようすや、お福が家光の乳母に抜擢されるまでが丹念に書き記されています。タイトルが「春日局」なので、大半が大奥だと思ったら大違いでした。たしかに「春日局」の大奥編は様々な小説にあるので、どれもがみな大奥編でなくていいわけです。華やかな生活を送る以前のお福の苦労の前半生が丹念に記されていました。実際は裕福な家にひきとられ暮らしぶりは良かったようですが、父が処刑されたことへの恨みはなみなみならぬものがあったと思います。斎藤家をねらう忍者が出没したり、悪党を刀で成敗するたくましいお福の姿もあります。至る所で剣が飛び交う雄々しい仕立てになっています。

お福の父・斎藤利三(さいとうとしみつ)は天正10年(1582)、6月2日本能寺の変の明智光秀の重鎮で光秀の従弟にあたることから、6月13日の山崎の合戦で敗北し坂本で捕まり4日後の17日、市中ひきまわし・六条河原で処刑されます。その後斎藤一家を蔭で支えてくれたのはお福の父の親友である海北友松(かいほうゆうしょう・絵師)です。この海北が真如堂(左京区・天台宗の寺)の住職である東陽坊長盛(とうようぼうせい)と組んで、利三が処刑された6月17日の夜に利三の遺体を奪還します。その時の様子が生き生きと書かれています。利三の遺体は真如堂に葬られます。後に3人の墓が並んで建てられます。

●出世のチャンスを逃さないどん欲までの上昇志向

本書のクライマックスは、慶長9年(1604)、お福が京都所司代板倉勝重から徳川秀忠・お江与の方(淀殿の妹)の間に生まれる家光の乳母として抜擢されて、所司代にお目通する場面でしょうか。お福は三男を出産したあと板倉勝重に夫婦で呼び出されます。
この頃お福の夫・稲葉正成とその一族は美濃で貧しい生活をしていました。稲葉正成は51万石の小早川秀秋(秀詮)の家老でしたが、慶長7年(1602)10月、主君の小早川秀詮が28才で亡くなると、跡継ぎのいなかった小早川家はとり潰しとなり改易されました。それにともなってお福の夫も一介の牢人となりわずかの蓄えで細々と生活していました。こんな折り、お福が一陽来福と喜び勇んで積極的に乳母の話を受け入れた様子が生き生きと記されています。お福が大奥にあがったおかげで稲葉家一族がぐんぐん潤ってきます。

本来ですと父親が逆賊で処刑されたような家系から将軍家の乳母に抜擢されるわけもないのですが、徳川政権がまだしっかり治まっていない「何でもあり」の時代だったのでお福に出世のチャンスがめぐってきたのだと本書に記されています。お福は出世のチャンスをフルに活用します。お江与の方の次男でライバルの国松をはねのけて、元和9年(1624)、家光(20才)を3代将軍に押し上げます。次第にお福は大奥初の大年寄として大奥を統括、絶対的な権限を有する大奥の女帝になっていきます。


写真;真如堂、斎藤利三・海北友松墓所












小説では京都所司代板倉勝重に直に推挙されたことになっていますが、実際には乳母は公募だったという説もあります。そうするとお福はすすんで志願したことになります。また、お福が選ばれた理由は、@お福が親戚の三条西公国(公家)に養育され、書道・歌道・香道・文学など公家の教養を身につけていたこと A夫の稲葉正成は小早川秀秋の家臣で、関ヶ原の合戦で秀秋を徳川につくように積極的に働きかけた戦功があったこと・・などが認められたようだ。お福の父は信長を倒す側だったし、徳川家にしてみるとお福夫婦は反信長・反豊臣という共通点を持ったカップルだったのです。

●時代背景も克明に描写、徳川の宗教的黒幕にも目を向ける

豊臣と徳川の確執も随所に現れています・・慶長19年(1614)の方広寺鐘銘(写真;国家安泰・君臣豊楽)事件や大坂冬の陣、和睦とだまし大阪城の総堀を埋めていった時のようすや大坂夏の陣(1615)のようす。筆者は「家康は千姫の命など大坂に嫁がせたときからどうでも良かった」と述べています。徳川絶賛というわけでもありません。方広寺鐘銘事件陰謀を計り、鐘楼に難癖をつけた金地院の崇伝住職も、上野寛永寺の開祖・南光坊天海(なんこうぼうてんかい・・小説では生き延びた明智光秀という設定)も小説の中で「徳川の宗教的黒幕」と記されています。終盤はお福が京に上って天皇に拝謁し、従二位・春日局の称号を賜ってますます大奥で権力が絶大になっていくさまが記されています。

【本のタイトルは「春日局」ですが、内容的には「春日局とその時代背景」だったと思います。家康とお福の間に生まれた子が家光・・という一説もあるようですが定かではありません。春日局は家光を溺愛、一方お江与の方は国松を溺愛。お江与の方は、将軍家世継ぎの争いに負け、姉の淀君を徳川に滅ぼされました。春日局は、お江与の方にとって伯父信長の敵方・・失意のうちに春日局より早く亡くなって気の毒でした。大奥も強き者が弱者を制す戦場だったと思います】

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