◆◆新撰組の部屋 史跡をたどる

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★蛤御門(禁門)の変

池田屋騒動の1ヶ月半後で、新撰組がちょうど油の乗ってたころ
  

上京区京都御所  2008.8

元治元年(1864)7月19日、右京区・天龍寺(写真)に結集していた長州藩が御所に向かう。そして州藩と幕府側が御所・蛤御門で武力衝突する。禁門の変と呼ばれている。

1年前の1863年8月18日のクーデターで長州藩と長州勢は京都を締め出された。長州で態勢を立て直した長州藩が御所に突入しようとする。会津藩・桑名藩が阻止、薩摩藩も応援に駆けつける。

新撰組も出動。このころ新撰組は100人にふくらんでいた。池田屋騒動以降、新撰組の人気が高まっていた。二日後の同月21日、新撰組は会津藩と共に天王山に追撃、真木和泉ら17人を自刃に追い込む。

長州勢は長州藩邸に火を放ちながら逃走。市中は広範囲で火の海に包まれた。ちょうど応仁の乱の再来のようであった。

●新撰組隊旗とダンダラ羽織・・新撰組ファンを魅了するシンボル

新撰組はこの時、初めて「誠」の旗(写真;壬生・前川邸)を使ったという。この日から新撰組の隊旗となる。製作は高島屋。ダンダラ羽織は大丸呉服店製作、出資者は大坂・鴻池。ひとりひとりの寸法に合わせて作られた。

















●凝華洞(ぎょうかどう)跡・・松平容保宿舎

建礼門の西にあった屋敷跡。御花畑屋敷とも呼ばれていた。京都守護職に任ぜられた松平容保が宿舎として使っていた。「禁門の変」の際の仮本陣となった。変の勃発時、容保は病をおして指揮をとったという。オオイチョウが植えられている。
















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