◆◆平安ゾーンU ◆平安時代の史跡・人々(藤原道長、源義経、後白河法皇etc)

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■鶴岡八幡宮 鎌倉市 2004.12

平安時代に石清水八幡神社より勧請して開いた、源氏や武士を守護するための神社

●本宮(本殿)と石段

11代将軍徳川家斉・いえなりが再建したもので流れ権現造りの建築が豪華です。





●義経と八幡宮

義経は、1181年(22歳)にこの鶴ヶ岡八幡宮に来ています。この八幡宮上棟の際、大工へほうびの馬を渡す職務を、頼朝は義経に命じています。この時、義経はこの仕事を喜ばなかったそうです。頼朝は同じ血筋の者への過大な加護は良しとしなかったそうです。義経が鎌倉にどのくらいの期間いたのかさだかではありませんが、この八幡宮にゆかりがあったことは確かだと思います。


●義経の1186年の動向

★1186年5月

平氏の頭領・平宗盛を捕虜にして、義経は鎌倉の頼朝のもとへ向かうが、鎌倉の手前の腰越で京に返されてしまう。この時の『腰越状(こしごえじょう)』の話は有名です。義経は頼朝に、「謀反の意志が無いことや、源氏のために平氏を倒した想い」を書状でせつせつと訴えますが、聞き入れてもらえず、鎌倉入りは断念せざるをえなかった。

★同年、10月

頼朝の兵に襲撃されたあと、11月、吉野山中に隠れる。静御前が捕まる。義経は山伏の姿で逃走する。


●舞殿・・悲しい静御前の舞
 1186年・4月・・頼朝が激怒

吉野で捕まった静御前は、鶴ヶ岡八幡宮で頼朝や政子の前で舞を奉納する。この時、静御前は『よし野山 峰のしら雪 ふみわけて いりにし人の あとぞ恋しき』『しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔の今に なすよしもがな』・・と義経を慕いながら舞ったとされる。義経を想う大胆な歌で頼朝は激怒したが政子がとりなした。
7月静御前は男児を出産するが、男児は同月、亡きものにされる。義経は比叡山に隠れ住む




















●隠れイチョウの木・・2004年12月末日撮影

本宮に通じる61段の階段脇の大木は、樹齢1000年の高さ・30b、幹の周囲7bです。鎌倉3代将軍・源実朝(さねとも)は、甥の公暁・くぎょうに暗殺されました。刺客はこのイチョウの木に隠れていたのです。この事件で源氏が滅亡し、北条氏の天下がめぐってくることになりました。暖かい季節にはこのイチョウの木のそばでリスがたくさん見られます。(この由緒あるイチョウの木は、2010年3月、連日の雨により倒れる。数日後近くに植えかえられた。)

●鳥居近くの赤橋 






















●源氏池  

●池にたたずむ旗上弁財天・・1221年・承久の変において源頼朝はここで旗上げをした










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