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★大聖寺(だいしょうじ)・・足利義満・花の御所跡 

上京区烏丸今出川上る御所八幡町 2009.2


■大聖寺

臨済宗相国寺派門跡尼院で、内親王によりその伝統が450年受け継がれています。大納言日野資名の娘の日野宣子が室町殿の岡松殿に迎えられました。その後、法名の大聖院に因み大聖寺と呼ばれるようになりました。この地に崇光上皇の御所があったことや、門跡寺院なので「御寺御所・みてらごしょ」ともいわれています。近くの相国寺と共に応仁の乱で焼失し、再建されて今日に至っています。

★三代将軍足利義満は、永和4年(1378)この地に邸宅を築き、翌年の康暦元年(1379)邸宅に移りました。
この辺りは、烏丸通りと今出川通りの交差点や京都御所に非常に近いです。大聖寺は東は烏丸通り、西側は室町通りに面しています。同志社大キヤンパスの一部にも隣接しています。

同志社大の寒梅館と室町殿遺構との関係

寺敷地向こうに見える、チャペル風のレンガ造りは同志社大の寒梅館といわれる建物で、2004年に竣工されました。この寒梅館は、大小のホールや、会議室、保健センター、学生支援センター、カフェレストランやスカイレストランがあり、多目的で利用されています。ホールでは講演会、演奏会、コンサートや吉本のお笑いライブなど様々な催しが行われています。2002年の着工中、この敷地で室町殿の遺構が見つかり、その遺構が常設展示されています。


















●烏丸通りの舗道に面する寺の東側塀 

●寺の向かいは烏丸通りに面する同志社中の体育館







●境内にある「花の御所跡」・石碑

義満の邸宅は贅を極め、庭園に鴨川から水を引き、花がふんだんに植えられたことから花の御所と呼ばれました。近くの御所から天皇や公家を招いてと詩歌・管弦・蹴鞠など優雅な宴が執り行われました。

















●故人を偲ぶ歌碑

2008年5月、前門跡春岳慈薫尼公の三回忌にあわせて建てられました。

「九品仏 慈悲の眼乃 変らねば いづれの御手に 吾はすがらむ  花仙院春岳」

●寺南側の塀と通り

















●寺南側の木戸とその内側・・ちょうど植木の伐採が行われていました。












★足利室町第(てい)址の碑・・大聖寺南西徒歩3分

今出川通りと室町通りの交差点にあります。この碑のすぐ横が理髪店です。義満の邸宅は室町殿(むろまちどの)または、室町第(むろまちてい)と呼ばれ、「室町幕府」の由来となりました。














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