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2005.6.22 東京都文京区

東大・前田家の赤門







◆赤門(あかもん)

東大は、江戸時代の加賀藩前田家の上屋敷跡にあります。赤門は、前田家13代斉泰(なりやす)が文政11年(1828)に、11代将軍家斉(いえなり)の娘、溶姫(やすひめ)を迎え入れるときに建造された門で、朱の漆で彩られたことから、表の黒門に対して赤門と呼ばれるようになりました。

今でも屋根には葵の門、軒の丸瓦には前田家の家紋、梅鉢が残っています。薬医門形式で
女性が出入りするのにふさわしく、優雅で美しい門です。

現在、前田家の上屋敷の跡をとどめているのは、東大校内の三四郎池と、この赤門だけだそうです。



正門のある通りを赤煉瓦沿いに歩いて行くと赤門になります。



この赤門は神社の朱より、落ち着いた色の深みのある赤でした。屋根の形や、色がとても美しいです。白砂がひかれた大木も風情があります。



説明の看板も赤くて木製なので風情がありました。赤い看板って珍しいですね



















◆三四郎池(育徳園心字池)

加賀藩主前田氏が、現在の赤門から池にかけての一帯の地を将軍家から賜ったのは、大坂の陣以後のことです
園池を大築造したのは、寛永15年(1638)、その性、豪宕で風雅を好んだという当主、前田利常のときです。彼の死後、綱紀がさらに補修して、当時江戸諸侯邸の庭園中、第一と称せられたそうです。
「育徳園」と命名され、園中に八景、八境の勝があって、その泉水、築山、小亭などは数奇をきわめたものだと言われています。池の形が「心」という字をかたどっており、この池の正式な名称は「育徳園心字池」ですが、
夏目漱石の小説「三四郎」以来、三四郎池の名で親しまれています。

















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