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史跡・ゆかりの祭り
★大徳寺1.「秀吉、利休との確執1.」
京都市北区紫野(むらさきの)大徳寺町 2005.9
●大徳寺の歴史・・一休さんが再興した寺・・茶の湯とのかかわりも深い
臨済宗大徳寺派の大本山。鎌倉時代末期に創建。花園上皇、後醍醐天皇の帰依を受け大いに隆盛し、京都五山の上に列せられた。その後、足利尊氏が実権を握ってから五山の下の十刹の九位に格下げされた。そのため自ら五山派を脱し林下と呼ばれる座禅本位の独自の宗風を確立していった。応仁の乱で堂宇を焼失したが、文明年間1469〜1487に堺の豪商の援助を受けた一休宗純が再興。その後、諸大名の寄進を受け数多くの塔頭が建てられた。明治維新で多くの寺領を返上したが、今でも24の塔頭が並ぶ大規模な寺である。一休ゆかりの寺に「真珠庵」(非公開)があり、茶の湯の祖の村田珠光の墓がある。一休はこの珠光に禅宗の茶を教えたという。
●勅使門(重文)・・秀吉の聚楽第の遺構で、豪華な彫刻が施されている
●悲劇の三門(金毛閣)(重文・禅宗様式)
千利休が等身大の自分の像をこの三門に安置して、秀吉の怒りをかったと伝えられています。
●仏殿(重文)
●法堂(はっとう)
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