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史跡・ゆかりの祭り

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方広寺 京都市東山区大和大路 2005.8

★方広寺の梵鐘が本当に戦いの引き金になってしまったよ

秀吉が天正14(1586)年に創建した寺。かつては、奈良の大仏を上回る高さ19mの盧舎那大仏を安置し、三十三間堂を含む壮大な寺域を有したが、火災で焼失。現在は山門もなく梵鐘とお堂だけが残っています。


【江戸幕府が成立しても、なおも安心できない豊臣の経済力】

大阪城と豊かな経済力を持つ豊臣は家康の脅威でした。そこで家康は豊臣の財力を抑えるために、方広寺大仏殿の再建や寺社の修復を命じました。

●大坂冬の陣・夏の陣のきっかけとなった梵鐘(高さ4.2m)・・豊臣滅亡の引き金となった梵鐘  

写真右端の大仏殿にあった梵鐘上方の白い部分に、
「国家安康(こっかあんこう)」 「君臣豊楽(くんしんほうらく)」の銘文が刻まれています。この銘文を見た幕府は、「家康を呪い、豊臣の繁栄を祈るもの・・家康に対する豊臣の反逆の意志」とみなしました。これが大坂決戦のきっかけとなり、豊臣氏は、
1615年の夏の陣で滅びてしまいました。


















●秀吉は大黒天を守護神として持ち歩いていたそうです。境内には大黒尊天を祀り、参拝するお堂があります。












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