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◆◆戦国武将の館T. ◆武田氏◆真田氏


「真田騒動・恩田木工」 

池波正太郎 新潮文庫 (2007.3.1)


●感動した『真田騒動』

◆池波正太郎・・大正12年(1923)浅草に生まれる。23才の時、区役所勤務をするかたわら、戯曲を書き始める。昭和35年、真田を題材とした『錯乱』で直木賞を受賞する。昭和43年に『鬼平犯科張』、47年に『剣客商売』、49年には『真田太平記』を週刊朝日に連載する。昭和52年に吉川英治文学賞を受賞。63年には「大衆文学の神髄である新しいヒーローを創出し、現代の男の生き方を時代小説の中に活写、読者の圧倒的支持を得た」として菊地寛賞を受賞。平成2年(1990)67才、急性白血病で死去。


【真田家三代目の信之(幸村の兄)が関ヶ原、大坂冬・夏の陣で、家系を絶やさないために、あえて肉親の敵方の東軍(徳川)についた勇断と実行力には驚きます。上田から松代(まつしろ)に移封(いほう)してからも、勤勉禁欲節制をむねとして、粗末な衣服を着て、一汁二菜の粗末な食事に徹し、夜は行灯を早めに消して、質素な生活に徹し
藩主として自分の身体を一生『領民と家』のために捧げたその生き様はすがすがしく奧の深さに感動します。真田の人々は、戦いに敗れた人もみな立派で、池波正太郎さんが真田にはまっていった理由が少しだけわかるような気がしました】


池波正太郎真田太平記館(上田市)・・『真田太平記』を中心とした展示品が見られます。土蔵造りのシアタールームもあります

上田市には、『真田太平記』でおなじみの「池波正太郎真田太平記館」があります。館の入り口から真田一色で、いかに「真田」に傾倒していたかがわかります。池波氏は真田に関する多くの小説を書きました。少年時代から信州が好きで、真田ものの取材をするうちに、真田の魅力にとりつかれてしまったようです。今では、真田といえば池波、池波といえば真田・・と言われるほど真田ものの第一人者として君臨しています。上田をこよなく愛し、その地で記念館が上田市や池波家の協力のもとに、平成10年に建ちました。池波氏が生きている時に建っていたら、どんなに喜んだことでしょう。



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