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◆◆戦国武将の館T. ◆武田氏◆真田氏

真田氏史跡F  ★真田邸 ★武家屋敷 

長野市・松代(まつしろ)町 2005.4.2

●◆真田邸

参勤交代がゆるんだ文久2年(1862)、真田家9代藩主・幸教(ゆきのり)が、江戸住まいを命じられていた母お貞の方(大和郡山藩(奈良県)松平甲斐守保泰の娘・幸良の未亡人が松代に帰ることとなり、母(幸良の未亡人)隠居所として建てた御殿です。明治4年の廃藩により松代城は取り壊しとなり、その後この御殿は真田家の居宅となっていましたが、昭和41年に松代町に寄贈されました。

【参勤交代・・寛永12年1635)から幕末まで続いた諸大名の妻子をともなっての江戸詰めを義務づけた制度。文久2年にこの制度が大幅に緩められ、国に戻る人が増えた。】


●趣のある門 ●
土塀も古めかしく風情があります












●53にのぼる部屋があります。4月初めだったので、雛人形がいたるところに飾ってありました。
















●屋敷の前には「水心秋月」と呼ばれる趣のある庭園もあります。旧大名の邸宅の様子がわかります。国指定史跡となっています。












★真田邸周辺

●蔵 ●恩田杢民親(おんだもくたみちか)の銅像

真田邸の隣接の地にこの像があります。ここは恩田杢民親の居住跡でもあります。恩田杢民親は家老勝手掛として困窮した藩の財政を立て直した経世家。年に1度だった年貢を月ごとに納めるように改革した。事績を綴った『日暮硯』(ひぐらしすずり)は経世済民の良書として有名で、二宮尊徳も座右の銘としてこの本を愛読していたという。政治家にも読まれている。

●真田邸の屋敷を囲む塀
















★武家屋敷

●真田勘解由(かげゆ)邸

真田邸に隣接している。真田勘解由は2代藩主信政の長男・勘解由信就に始まる分家。勘解由信就は長男でしたが、家督は末弟幸道が継ぎ、その後は勘解由信就の七男信弘が藩主になっています。

●旧横田家(写真右2枚)住宅

真田邸の近くにある横田家は、真田家の家臣として幕末まで150石の禄を受けていました。江戸時代末期の中級武士の住宅です。この家で育った横田秀雄は、大審院長に、その子正俊は最高裁判所長官になり、二代続いて裁判官の最高位につきました。秀雄の弟謙次郎は鉄道大臣になっています。













●小山田家

小山田家の初代茂誠は武田信玄に仕えて、戦国時代に活躍しました。茂誠の妻は真田昌幸公の長女でした。つまりこの家は
真田幸村の姉の嫁ぎ先の家ということになります。信之公が松代に国替えの時、小山田家もこの地に移ってきました。















●城下町・・一般の住宅にも武家屋敷の風情が残っています。










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